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【エッセイ】蛙になっちゃえ

蛙化現象という言葉が一斉を風靡して久しい。
簡単に言うと好きになった人の行動に気持ちが冷めてしまうことらしい。

例えば、憧れだった人が自分に興味を示した途端に気持ちが冷めたり、フードコートで自分たちの席が分からなくなって気持ちが冷めたという例もあった。

LINEの文章に「笑」が使われていて蛙化という話も聞いたことがあり、「笑」を多用する私にとっては死活問題だったりするのだが、いかんせんこの「蛙化現象」という言葉に違和感がある。

蛙化現象の語源は「かえるの王さま」というグリム童話から来ているのだが、蛙化現象という言葉は一方的に男性側(ここでは女性の気持ちが冷めてしまったとする)が「蛙になってしまった」という印象を与えるのだけれど、この「蛙化」したのが男性を対象としたものなのか、女性を対象としたものなのかが分からない。

「男性が蛙になってしまったから私の気持ちが離れたのよ」
なのか
「私はそんな些細なことで気持ちが離れるような蛙のような卑しい心の持ち主です」
なのかどちらだという話である。

前者ならその女を田んぼに放り投げてやりたいと思うのだけど、だとすると男性側からすればほぼ当たり屋みたいな話なのだから「蛙化現象」ではなくて、「蛙化させられ現象」が正しいだろうし、「蛙化現象」と言ってキャッキャしている人に、日本語もまともに使えない奴が何言ってんねんである。

後者なら意味が通り違和感はなくなる。

そもそも勝手に相手を神格化して、人外に憧れるがごとく完ぺきを求めた結果、相手の人間性が垣間見えた時に冷めるなどという自分本意な人と素早く関係を断ち切れた人はラッキーだったのではないかと思ったりする。

私みたいな野良の人間はむしろ相手の人間性が見えた時に安心する。
花見で自分の帰るブルーシートの場所が分からなくなっているおっさんなど、抱きしめたくなる。

だから人間は面白いのに、その面白さを感じられないさみしい人達なのだなと思う。

咀嚼音が……
とか
店員への態度が……
とか
それはそもそも男性側の人間性とか教育とかマナー・モラルの問題なので蛙化云々ではなく、嫌いなのである。

だから「蛙化現象」などというあやふやな言葉を使って自身の言葉の責任を誤魔化すのではなく自分に向き合ってください。

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