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「自分を育ててくれた大阪エヴェッサに恩返しをする」創設期から選手を支える、西村剛トレーナーの思い

舞洲に拠点を置くプロスポーツ3チーム、大阪エヴェッサ、オリックス・バファローズ、セレッソ大阪で働くクラブスタッフへのインタビュー特集企画「舞洲を支える人々」。クラブスタッフとなった経緯やチームへの思い、舞洲にまつわるお話などを伺います。

今回登場するのは、B.LEAGUE所属・大阪エヴェッサでヘッドトレーナーを務める 西村剛(にしむら・つよし)さん。チーム創設時の2005年からアスレティックトレーナーとして選手のフィジカル面を支えています。bjリーグからB.LEAGUEへと戦うステージが変わる中で、チームとともに西村さんも様々な変化を経験されました。

今回は、大阪エヴェッサ創設から現在に至るまでの変遷をはじめ、西村さん自身が印象に残っている選手や試合についてもお聞きしました。

大学卒業後、トレーナーを目指すためアメリカへ

ートレーナーになろうと思った経緯を教えてください。

元々スポーツが好きで、「いつかスポーツに関わる仕事をしたい」と思っていました。トレーナーを目指すと決めたのは、大学卒業を前にしたタイミングです。当時、同級生らが一般企業への就職を決めるなか、「自分も同じように就活をするのだろうか?」と考えたときに、やっぱり自分はスポーツに関わる仕事に就きたいなあと。そう心が傾き始めた頃に、トレーナーという職業に興味を持ち始めました。

今でこそトレーナーを目指せる学校は数多くありますが、当時は国内で学べる環境はほぼ皆無。まずは渡米して資格を取得するルートが一般的でした。周りが働き始める時期に勉強からスタート、しかも海外で……。さすがに勇気のいる決断でしたが、アメリカで勉強するとなれば、帰国時には英語も話せるだろうし、英語ができれば仕事の幅も広がると考え、単身アメリカへ。結果的に、難しいと言われていた資格も無事取得でき、当初の目的を達成して帰国しました。

ー日本とアメリカでトレーニングに対する考え方の違いはありましたか?

トレーニングという観点で言えば、アメリカでゼロから学び始めたので、それまでの日本との比較は難しいですね。ただ、学習方法という観点で言えば、日本とアメリカでは世界観が全く違いました。

特に授業の仕方は全然違います。僕が日本で経験してきた授業は、先生の話を生徒が一生懸命聞いて理解するというもの。もちろん授業中の私語も許されません。一方アメリカでは、授業中に先生と生徒が対話して授業を進めていくため、常に生徒が発言をしやすい雰囲気。先生が喋っている最中でも、手を挙げて気軽に質問ができました。

上下関係が重んじられる日本と比べ、アメリカでは対人関係が全般的にフレンドリー。知らない人にも気軽に声を掛けたり、友達になるスピードも早かったり。日本との違いにカルチャーギャップを感じつつも、アメリカでの人との距離感からは学ぶことも多く、僕自身がセミナーを行うときは、アメリカで学んでいた頃のような授業スタイルを取り入れるよう心掛けています。

今とは何もかもが違った、創設当初の大阪エヴェッサ

ー大阪エヴェッサでトレーナーを務めることになった経緯を教えてください。

帰国してまだ東京で働いていたときに、日本でプロバスケットボールリーグが発足されると知りました。大阪エヴェッサ関係者に知り合いがいたので、トレーナーとして働かせてもらえないかと直接掛け合ったんです。

その結果、面接を経て内定をもらい、晴れて1人前のトレーナーに。実はもう一つ、他のチームからも内定を頂いていましたが、京都出身の自分としては関西で働きたいと思い、大阪エヴェッサへの入団を決めました。

ー入団された頃のチームの環境や雰囲気はいかがでしたか?

入団当時は今と全く異なる環境でしたね。チーム専用の体育館がなく、ほぼ毎日違う場所で練習。体育館を使える時間も決まっていて、現在のような整った環境ではありませんでした。

遠征に関しても今のように飛行機や新幹線移動は稀で、ほとんどがバス移動となり東は東京や新潟、西は大分や熊本までバスで行ったことがあります。

チームの雰囲気は、良くも悪くも若かったです。2005年頃はプロチームがほとんど存在せず、パナソニックや東芝、トヨタなど企業チームが主流の時代。トップクラスの選手はそれらの企業チームに所属し、大阪エヴェッサのようなbjリーグのチームには、「企業チームには入団できなかったけど、バスケを続けたい」という若手選手らが中心に集まっていました。今と比べれば、技術的にもメンタル的にもまだまだ足りない部分が多い集団だったと思います。

ただそれは選手だけでなく、僕たちチームスタッフも含めての話です。ヘッドコーチもアシスタントコーチも自分も含めて全員が若かった。最初はチーム内の秩序など誰が何を教えるのかも決まっていなかったですし、色々手探りでやっていた記憶があります。当時はそれが当たり前と思っていたけど、今振り返るとほぼ全員が複数の仕事をしながらギリギリのところでやっていたという感じですね。

全選手が試合に出場し続けられることが目標

ーメディカルチームの体制も変化されたのでしょうか。

そうですね、変化しました。入団時はトレーナー業務を全て1人で担当していましたが、現在はヘッドトレーナーとして自分がいて、その下にアスレティックトレーナー、ストレングスコーチ、理学療法士がいる4人体制です。昔に比べて、より充実した体制を整えられていると思います。

ドクターに関しても当初は1名のチームドクターだったのが現在は2名となり、シーズン中は水曜ゲームもあるので、あともう2名のサポートドクターがいて、お互いに情報交換をしながら連携を強めていっています。

ーチーム、個人としても大きな変化を経験されたと思います。

メディカルチームと同じく、チームも規模が大きくなりましたね。最初は6人程度しかいなかったフロントスタッフも、現在は30人を越えました。メディアへの露出も増えて、年々注目度が高まっている感覚はあります。

個人的な変化としてはこの数年、特に選手を怪我で離脱させないことに注力しています。怪我で選手が稼働できない状態はチームに大打撃を与えますから、そういった状況を避けるためにも日頃から選手のコンディションには更に気を配るようになりました。プレー中の不可抗力による怪我は仕方ない部分もありますが、防げる怪我は未然に防いでいきたいです。目標は全ての選手が全60試合に出場できる状態を作ること。幸い昨シーズンは大きな怪我がなかったので、徐々に効果が現れていると思います。

ー具体的にはどのようなことをされるようになったのでしょうか?

日々のコンディションを把握するために使っているチェックリストの項目を増やしました。リストを使用して選手の疲労度や痛みがあるならその程度など、状態をより詳細に知るよう努めています。

具体的には、インターン生に毎日チェックを行なってもらい、気になる点について僕が選手に直接所感を聞いています。怪しいと感じた場合には、練習の量や内容、強度を調整した方がいいとコーチに助言しています。

「信頼関係の構築」こそが選手と向き合う上で最も重要

ー長年チームを支えられている中で、印象に残っている選手はいますか?

bjリーグ時代のリン・ワシントン選手でしょうか。記憶にある方もいるかと思いますが、2007-08シーズンの開幕直後にリンは靭帯を断裂する大怪我をしました。他に外国籍選手は3人いましたが、主力のリンを欠いてこの先の長い戦いに臨むのは難しいだろうと、フロントが新しい外国籍選手の獲得に動き出そうとしたんです。

その話を耳にした3人が「リンは必ず戻ってくるから、それまでは自分達に頑張らせてほしい」と獲得に待ったをかけ、結果的に選手を獲得せずに復帰を待つことにしました。

常識的に考えてシーズン中の復帰は難しい怪我でしたが、リン自身の戻りたいという気持ちが強く、周りの選手もそれを感じ取ったかのように、彼の不在を感じさせない活躍を見せてくれたんです。

実際にリンが戻るまでチームは首位をキープ、シーズン中に戦線復帰したリンの活躍もあってエヴェッサは3連覇を果たし、リンもMVPを獲得しました。困難な状況でも真剣にリハビリに向き合う姿は、僕自身感銘を受けましたし、今でも思い出に残っています。

ーそんなエピソードがあったんですね。大阪エヴェッサは、選手をはじめチームに携わる方々の絆が強い印象を受けます。

そうですね。練習後に選手とフロントスタッフがサイン対応などしながら楽しそうに話している姿もよく見かけますし、アットホームな雰囲気はあると思います。

チームとフロントが一枚岩となって戦っていくことが強いチームを作っていく上で非常に大事なことだと思っています。

ー他のスタッフの方以上にトレーナーは選手との距離も近いと思います。選手との向き合い方で意識されていることはありますか?

第一にしっかりと信頼関係を築くよう意識しています。どんな仕事もそうだと思うんですけど、やっぱり信頼関係がないことには何も始まらないです。選手も一人の人間ですから、よく知らない相手の話は聞かないですよね。僕の場合はまず相手をリスペクトして話しかけ、どんな人間かを理解してもらった上で、自分の発言に耳を傾けてもらうようにしています。選手と話し理解することによってお互いに仕事しやすい関係を作っていければベストかなと思っています​。​

ー舞洲で開催された中で、いちばん印象に残っている試合を教えてください。

B.LEAGUE初年度に行われた宇都宮ブレックスとの試合ですね。田臥(勇太)選手が初めて舞洲に来るということで、アリーナは両日満席。運営側も会場演出に工夫を凝らしました。今でもその時のアリーナの印象が一番強く残っています。あのアリーナを作るためには僕たちが常に魅力的なチームであり続けなければならないと思っています。


ー最後に、来シーズンに懸ける思いをお願いします。

エヴェッサが所属している西地区はタフなリーグですが、CS(チャンピオンシップシリーズ)に進出するためにも40勝前後はしたいところ。決して簡単な数字ではないものの、最低限今シーズンよりも良い成績を収めて、また舞洲のアリーナを満員にしたいです。

個人としては15年以上チームに携わっていて、大阪エヴェッサというのは自分にとって特別な存在です。またトレーナーとして育ててもらった感謝の気持ちもあります。長く携わってきた身として自分にしかできないこともあるので、その経験をこれからもチームに還元し恩返ししていきたいですね。


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