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競技も年齢も異なる二人のキャプテンが明かす「苦悩」と「覚悟」【レッドハリケーンズ大阪・杉下暢×クボタスピアーズバレーボールチーム・枡富滉】

OSAKA SPORTS GROOVEでは、大阪市内に拠点を置く8チームならではのインタビュー記事をお届けします。『大阪からスポーツを語る』では、大阪でプレーする各チームの選手に、これまでのキャリアについて当時の感情や思いを振り返っていただきます。

今回登場するのは、レッドハリケーンズ大阪の杉下暢(すぎした・とおる)選手とクボタスピアーズバレーボールチームの枡富滉(ますとみ・あきら)選手です。それぞれのチームでキャプテンを務める31歳の杉下選手と23歳の枡富選手。年齢も競技も異なる二人にこれまでの競技人生を振り返りつつ、チームを率いるキャプテンとしての思いや課題、チームの見所を伺いました。

野球からラグビーへ転向、杉下暢の異色の経歴

ーまず、杉下選手の経歴について教えてください。

杉下:実は、中学まで野球をやっていて、ラグビーを始めたのは高校に入ってからなんです。ある日、ラグビー部の監督に「体がデカいから1回練習に参加してくれ」と誘われて、試しにやってみたところ、めちゃくちゃおもしろいスポーツだなと思って、それをきっかけに野球からラグビーへ転向しました。

枡富:野球からラグビーへの転向はすごいですね。転向の決め手を教えてください。

杉下:そもそもラグビーに出会ったのは中学3年生のときでした。体育の先生がラグビー部の顧問だったので、授業の一環でラグビーをする機会があったんです。その授業を受けたことでラグビーに興味を持ち始めました。そんな経緯もあって高校入学時にも(ラグビー部に)誘われてはいましたが、そのときは甲子園を目指せるくらい野球で成績を残せていたので一度お断りしたんです。しかし、いざ高校に入ると結果が出ず……そのタイミングでもう一度誘っていただいたので、ラグビーへの転向を決めました。

枡富:最初はラグビーのどこに惹かれたのですか?

杉下:コンタクトスポーツの非日常性に惹かれましたね。

ーラグビーに転向してからはいかがでしたか?

杉下:内部進学で入学した立命館大学は、関西Aリーグ所属の強豪チームでした。僕は2回生の頃から試合に出場することができ、3回生では関西優勝を経験。でもそこで燃え尽きてしまって、4回生の時は関西5位という結果に終わりました。

大学卒業後は、ドコモへの就職が決まっていたのですが、このまま続けても選手としてのキャリアはあと3年くらいだろうという危機感がありました。そんな状態から心機一転、努力をした結果、加入1年目からスタメンとして試合に出場することができました。

しかし、チームとしては難しいシーズンで、入れ替え戦で負けて降格。1年で昇格できたものの、その次の年にはまた降格してしまい、それと相関する形で、自分自身のモチベーションも揺らいでしまいました。

そんな中、世界的に有名な TJ・ペレナラ選手や、南アフリカ出身のヨハン・アッカーマンHCがチームに加入して、ずっと目標としていた16チーム中トップ8という目標を達成することができたんです。

しかしその翌年、突然チーム再編(※)があり、強化に軸を置いたチームと社員中心のチームに分かれることになりました。僕は大阪に残ると決めたので、3部リーグからのスタート。正直、モチベーションは下がりましたが、今いる選手たちで頑張ろうと覚悟を決め、昨年30歳になった年に3部優勝、2部昇格を達成しました。今後もこのまま上がっていって、ディビジョン1に挑戦したいと思っています。

※2022年3月、NTTコミュニケーションズシャイニングアークス東京ベイ浦安と、NTTドコモレッドハリケーンズ大阪がチームの再編を発表。プロ選手は主に浦安に所属し、大阪は社員選手を中心としたチームへ再編成。リーグの所属も1部から3部へと変更になった。


バレーボール一筋、強豪校でプレーする苦悩も…

ー次に、枡富選手の経歴について教えてください。

枡富:母が小学校のクラブチームのコーチをしているのですが、その関係で兄と姉がバレーをプレーしていて、気づいたら僕もはじめていました 。

小学校5年生のときに入部したんですけど、翌年には全国大会でベスト16入り。 当時はバレーが楽しいという感覚もありましたが、地元の友達と遊びたいという気持ちもありましたね。

本当は地元の中学に進学したかったのですが、親の勧めで他の中学に入ることになり……結果的にジュニアのチームメンバー全員で同じ中学に行くことになりました。 小学生のときの実績もあって中学ではちやほやされ、モチベーションは高かったです。中学時代も全国大会に出場することができました。

高校で(モチベーションが)下がっているのは、諸事情でどうしても行きたかった高校に進学できなかったからです。しかも高校1年のときは2個上の先輩が怖くてホームシックになり、高校2年ではキャプテンを任されましたが、厳しい環境下で結果が出ませんでした。

大学は関東に行くか迷いましたが 、九州からでも選抜に残れることを証明したかったので福岡大学に進学しました。 日常生活は充実していた一方で、怪我などがありモチベーションは上下しています。

杉下:グラフは高校で下がっていますが、大会の結果としては2位なんですね。ベスト16のチームでプレーしていた身からすると、2位も十分すごいと思うのですが、強豪校の宿命といったところですか?

枡富:朝から晩まで練習をしていたのに思うような結果を出すことができず......練習量と結果が見合っていないと感じました。不完全燃焼なまま終わってしまいましたね。

チームを引っ張る2人が掲げるキャプテン像

ーキャプテンとしてチームを牽引するお二人が意識していることはありますか?

杉下:若手が前に出ていきやすい環境を作ることですね。チーム再編で中堅選手がごっそり移籍したので、少し歪な状態になっています。開幕戦も平均年齢が30歳を超えていました。

ベテランだけではシーズンを通して戦えないので、若手の底上げをすべく、試合前に行っているゲームプランの説明や掛け声、試合後のレビュー等を若手に任せてみました。前に出るきっかけを作ることで、本来の力を発揮できるようになったと思います。

最終戦も開幕戦とは全く違うメンバーになっていましたし、シーズンを通して、取り組んでよかったと思います。

枡富:大事にしていきたいのは意見を出しやすい環境づくりです。コーチ、キャプテンだけでなく、全選手が発言しやすい雰囲気を作ることに取り組んでいます。

杉下:学生時代と違って、キャプテンより上の年代の選手もいるので社会人チームの難しさを感じますね。

枡富:普段から和気あいあいとしてるだけに、強く言いたくても言えないときがありますね。そこが課題です。

杉下:選手によって伝わりやすい口調も異なるので、そこは変えながらやっています。ただ、少しずつみんなが自然と発言できるようになりましたね。最初は先輩や外国人選手がいるなかで、若手選手は発言しづらかったと思うのですが、変わってきています。

ーキャプテンとして悩んだことはありますか?

杉下:昨シーズン序盤、上手くいかなかったときに色々と意見が出たのですが、それをどの程度吸い上げるか悩みました。戦い方はブレないことが大切だと思うので、ミーティングの中で「俺たちはこういう戦い方で挑むんだ」というメッセージを出すように意識しています。

枡富:昨シーズン、チームとして落ち込んだときに、チームを鼓舞する声が出せませんでした。キャプテンになったので、今後は意識して発言していきたいです。


アットホームな大阪のファンに届けたい思い

ー枡富選手は福岡、杉下選手は京都出身ですが、大阪の印象はいかがですか?

枡富:自分自身が真面目な性格なので、正直まだあまり大阪を楽しめていないです(笑)。

杉下:大阪はアットホームですよね。飲み屋でも体つきと耳を見て、「ラグビーやってるの?」と話しかけてくださいます。ラグビーの面でも、応援の温度感が高いですね。多くの方が試合に足を運んでくださいますし、イベントにも来てくださいます。

枡富:アットホームなことは間違い無いですね。

ーそんな温かいファンの皆さんに、見てほしいポイントを教えてください。

枡富:チームの雰囲気ですね。見ていて楽しいバレーを体現したいと思っています。昨シーズンもリーグの中ではいちばん活気があったと思います。特にベンチはどんちゃん騒ぎでした。個人としては、派手なプレーが得意ではないので、 いやらしい点の取り方を見てほしいです。

杉下:前を見て、速い展開でトライに結びつけるスタイルを掲げているので、まずはこれをチーム全体で体現したいです。

そして全6チーム中トップ3に入ることができれば上位入れ替え戦への挑戦権を得ることができるので、我々がもともと所属していたディビジョン1へ戻ることができるよう全力を尽くしたいです。

あとは区民アンバサダーとして、大阪市内各区民の方々との交流をより一層深めたいです。今の時期は夏祭りなどに選手が参加していますが、今後さらに活動を本格化させる予定です。区民の皆さんは、ぜひ楽しみにしていてください!

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