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言葉を大切にすることの意味

こんにちは、MAIです。
忙しさにかまけて、noteを更新できていなかったのだけど、佐渡島庸平さんの2019年のブログ「言語化能力をいかに鍛えるか」を読んで、急に書きたくなった。

佐渡島さんは、こう書いている。私もときどき頼まれて翻訳をすることがあるのだけど、ものすごく時間がかかる。言葉を自分の持てる限りの引き出しから出して、組み合わせて、しっくりくるまで試行錯誤するから。だから、佐渡島さんの言葉がすっと入ってきた。

文学作品を翻訳する。これが、言語化能力を磨く、最短の方法だ。日本語だけを使っていても難しい。「美しい」と「綺麗」の差は何かということを、唐突に日本語で考え始めることはなかなかできない。でも、この文章の中で、beautifulを翻訳すると、どの言葉が相応しいのかと考えていると、自然と「美しい」と「綺麗」の持つニュアンスの差について考えることになる。

そして、(佐渡島さん同様)私も村上春樹の翻訳小説が大好きで、グレイス・ペイリーの「最後の瞬間のすごく大きな変化」をバンクーバーまで持ってきて、今も再読している。なんというか、心の中の声やその場の空気がとても好き。日本語の美しさに浸ることができる。しかもタイトルが素敵で、つい声に出して読みあげたくなる。

私は昔から一歩引いた目で、周りを見ていたように思う。そして、人がこう伝えたらどう感じるか、言葉選びも意識せずに気をつけていた。それは、田舎すぎて本を読む以外娯楽がなかったことと、実家がお寺で常に近所のおばあさん達が周囲にいたことの影響が少なからずあったのかもしれない。

便利で娯楽の多い東京のマンションで育ったうちの子たちには、その環境を提供することは難しかった。そして、うちにはティーンエイジャーの娘がいるのだけど、彼女の言葉遣いが荒いのは、言葉を知らないからかもしれない、とふと思った。知らないから、不快なことに対して「気持ち悪い」という言葉しか出てこないのかもしれない。

言葉を知ること、しっくりくる表現を選べるようになることは、伝えたいことを、押し付けにならずに相手に届ける上で、とても助けになる。私が子ども達にこれから伝えていけることは、これなのかもしれない。子ども達にも、バンクーバーでの生活を通して、言葉の大切さや美しさ、日本語のおもしろさに気づいてほしい。


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