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父のこと

父が亡くなった……と、文字で書いても実感はない。昨年春に癌が発覚した。父は血尿が出ていたのを、半年近く誰にも言わなかったらしい。突然血尿を知らされた母は、びっくりして父をすぐ病院に連れていき、精密検査を受けた。腎盂にできた癌は、もうあちこちに転移していた。結果を聞くときは娘さんも一緒にと言われ、私も付き添った。父は、淡々としていた。

必要最低限のことしか話さない人だった。いや、必要なことすらあまり話さない。いつも無口で、怒るとより無口になった。一人娘にもほとんどなにも言わない。でも私のことを気にかけているということは、母からよく聞いていた(母には話していたのだ)。誰の悪口も言わず、文句や愚痴をこぼすところも見たことがなかった。心の奥で考えていることはあったのかもしれないが、ぐっと堪えていたのか、本当に凪のような気持ちでいたのかはわからない。父が病気で話せなくなってから、母とよく「お父さん、本当はもっと言いたいことあったんちゃうかな。聞きたかったなあ」と話した。でもきっと父は、話せたとしてもなにも言わなかったと思う。

父はとても優しい。もちろん怒られたことはあるが、それが理不尽なことだったことは一度もない。私は自分の娘に、自分の都合で叱ってしまって、反省するばかりだ。父は仕事が忙しかったので、あまり私と一緒にいる時間は長くなかったが、それでもすごい。反抗期のときも、大人になってからも、ただ見守ってくれた(いつも黙っていたから、本当に「見守る」という言葉がぴったりだ)。実家に帰るときは、必ず車で迎えに来てくれた。車内でもほとんど話さなかった。

抗がん剤を2種類試した。小さな癌は消えたりしたが、元の癌は大きくなっていった。最近使えるようになったという3種類めの抗がん剤を使ったとしても、効果のある人は3割ほどで、その3割の人も1年くらいで薬が効かなくなるのだと告げられた。母と私は「父がなるべく苦しまないようにしたい」と希望した(治療はとてもしんどそうだった)。抗がん剤を使うのはやめることになった。癌が見つかってから半年ほど。入退院を繰り返しながら、父はだんだん痩せ細り、会うたびに小さくなっていった。そして、小さくなった分の父は、どこへいってしまったのだろうと考え出した頃から、私は目の前にいる小さな父と、記憶の中にいる父を切り離していたような気がする。

記憶の中の父はいつも笑っている。優しく笑っていたり、照れるように笑っていたり、いたずらをした少年のように笑っていたりする。父にはもう会えない。でも、会えないだけで何も変わらない。話しかけても返事がないことは、いつものことだから、それでいい。

ひとつだけ、それもほんの少しだけ悔やんでいることがあった。父の意識がはっきりしているうちに「ありがとう」と言えなかった。病院へお見舞いに行ったとき、実家に会いに行くとき、何度も言おうとしたが、口にするとそれが最後の言葉になってしまいそうだし、父が「死」を覚悟してしまいそうで、怖かった。私が口に出せたのは、血圧が低下していると病院から呼び出されたとき、父の意識がなくなってからだった。でも時間を巻き戻せたとしても、結局は言い出せないかもしれない。そんなところ似なくていいのにな。

私は父が大好きだ。もちろん母も、夫も、娘も。夫の家族も。言いたくても、言えないことはたくさんある。口にするのは難しいけれど、言葉として少しずつ残していきたい。父が、記憶に残してくれたように。


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