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【徒然なる儘に】人格者と呼ばれて

わたしは以前から人格者と呼ばれることがあった。

大変名誉なことだと思うけれど、どこが?という疑問も常に抱いていた。

あるとき一冊の本から人格形成という概念を学び、せっかく素質があるのなら伸ばそうと思った。

人格とは、素直、正直、謙虚、誠実、正義、節制、勇気、倹約、黄金律(人がして欲しいと思うことをすること)など多岐に渡り、
一つ伸ばすのに数ヶ月から一年以上かかるものだ。

わたしは幸いにも自然体なので元々素直だった。

人からは誠実な人だと言われていたし、嘘が大嫌いだから正直だった。

正義感もかなり強い。

そうやって(一応)一定基準満に近いであろう人格は、伸ばすのが比較的楽だった。

謙虚は難しかった。わたしには高慢なところがあったからだ。どこか人を見下すような真似をしていた。

しかし、その後多くの優れた人格者や尊敬する人たちの生き方や人生を見る度に、都度自分の稚拙さや未熟さに頭を打たれることで、このわたしが人を見下すことなんて、高慢で愚かなことだったと心から反省し、謙虚さを身につけていったように思う。

謙虚な人間は見下すどころか、基本的に相手を敬う態度を忘れない人だ。
その相手が如何に不出来で至らなくても、見下すことは決してしない。
わたしは自分が人を見下そうとするのを事前に防ぐことが出来ている。
人が人を見下すこと自体が不遜極まりない行為だと理解したからだ。

謙虚については、今は一定基準を満たしたと思う。
謙虚であると人によっていちいち目線を変えないから、自分でも楽だったりする。

今は節制に取り組んでいる。
節制とは、怒りや不安、高揚や欲望など中庸から外れた感情をコントロールすることだ。

例えば、怒りには寛容な心をもって、不安底さには自律心や自制心をもって、という風に、感情の起伏を打ち消す作用のある人格や心を使って、中庸、常にほどほどの穏やかな心でいられるという仕組みだ。

わたしはこれは非常に革新的な仕組みだと思った。
怒りを鎮めるには興奮が治まるのを待つしかない訳ではない。そこで寛容さを意識出来れば怒りは消えてなくなるのだ。
不安底さなどはさらに対処法に悩むものだが、それを自制したり自律するという方法を知っていれば、不安も消えてなくなる。
つまり、節制は感情の起伏を抑える特効薬なのだ。

これに取り組んでいるとき、やはりイラッとしたり、欲望がチラついたりはする。まだ形成途中だからうまくコントロールは出来ていない。
しかし、人格はきちんと伸ばせば伸びる。
わたしが人格形成を長年取り組んでいる一つの理由は、やれば確実に結果が出て、どんどん生きやすくなるのが分かるからだ。

謙虚になりたいと思わない人は、自分の高慢さに気付かずに周囲の評価を落とす可能性が高い。
謙虚でないために人間関係で非常に損をしている。

そういう風に、ある人格が未成熟な人が人間関係で評価を落とすことが非常に多いのに、それを『コミュニケーションスキル』の問題だと多くの人が勘違いしている。
それはスキルの問題ではなく、人格の問題なのだ。
だからいくらスキルを磨いても問題は解決しない。

同じような問題に、『自己肯定感』がある。
例えば素直という人格が未成熟な人が、どうしても素直になれない自分が好きになれないと自己否定をする。これが自己否定の原理となる。
或いは、自分はどうしても嘘が治らない。嘘がバレたら友達を失くすのに何故なのか?こんな嘘つきな自分が嫌いだ。と自己否定する。

そんな人たちが自己肯定感を上げるのに何が必要なのか?これもまた人格の問題なのだ。
素直になれないのなら素直になるしかない。
嘘を治したければ正直になるしかない。
このように、否定の材料となっている人格を伸ばすこと以外に本当に自己を肯定出来る方法はない。

わたしは自分が出来そうな順番から取り組んできたので、だんだんと難易度が高くなってきている。
苦手分野の人格形成なんて正直全然やりたくない。
倹約や質素など、今のところ全く目指していない。 

けれど、もし自分がそんな人間になれたらどうだろうと思うと、なんだかやっぱり良いことしかなさそうな気がしてくる。

それに、これはもう乗りかかった船なのだ。
途中でやめたらなんだかもったいない気がする。
わたしは特に人格者と呼ばれたい訳でもないし、
人格者を目指しているわけでもない。
ただ目の前に山があるから登っているだけなのだ。

人格とは独学で工夫したり努力すれば伸びるものばかりではなさそうだ。
今まで何とかやってこれたのは、運がよかったからかもしれない。
この先、この人格無理かも…みたいな事態に陥っても、現代にはそれらしい書籍もサイトもほとんどないし、常に手探り状態になるだろう。

もしも上手くいって真の?人格者になれたなら、自叙伝の一冊でも出すのもいいかもしれないな。
後世にわたしの武勇伝を言い伝えるのもいい。
自分のためにも、人格と性格は良いに越したことはないのだから。

最後に、素直になれない人の人格の伸ばし方、これはわたしのオリジナルバージョン。

「ありがとう」

「ごめんなさい」

思ったときにすぐ口に出して言うこと。
これを徹底する。

わたしはもともと素直だったけれど、ここだけは足りていないと自覚していたので、これでいいのではないかと考え、特にきちんと謝ることが出来るようになって、人間関係(特に親子)で揉めることがほとんどなくなった。

ミスを犯した側の人間が謝るべきところを謝らないと、相手もなかなか納得出来ないものだし、仮に謝られてまでまだ許せないとなると、今度は相手の問題に転換するだろう。もう、自分に否はないのだ。
だから、謝るべきところはきちんと謝りましょう。

そして、今日は何回ありがとうが言えるかな?くらいに、ありがとうという言葉を何度も口に出せる幸せを是非感じて欲しいと思う。ありがとうは言われる方より言う方が幸せなものかもしれない。
感謝出来るという事こそ、幸福というものだから。

ありがとうとごめんなさいが素直に言える自分は、きっと自己否定していたときよりずいぶんと素直になれているはずだ。あとは、なるべく自分の素直な気持ちを相手に伝えるよう心がけてどんどん素直な自分を肯定していけばいい。なりたい自分になる。

ちなみにわたしは自分が思ったことをそのまま素直に口にするという自然体特有の体質?なので、発言全部がありのままだ。

もちろん悪口に取られることや失礼にあたることは控えるが、気心が知れれば相手からは、この人は何を言っても本当の気持ちなんだなと受け取られるので、信頼されることが多い。

思ってないことを言えないなんて不都合じゃないか?と言われそうだが、思ってないことなんか言う必要はない。わたしが今までそれで生きているのだから間違いない。余計なお世辞も一切いらない。

ただし、性格が悪い人はとても大変かも…なんて。
今のところそういう人は知らないが、とにかく素直に生きるのはかなりストレスフリーな生き方です。

もし貴方が人格形成を始めてみようと思うなら、是非素直から初めてみてください。


【復唱】

人格とは、素直、正直、謙虚、誠実、正義、節制、勇気、倹約、黄金律(人がして欲しいと思うことをすること)など

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