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痛みの果て

子どものころ、家庭という場所は
愛と温かさに満ちた場所であると信じていた。

しかし、

私にとっての家庭は「虚構」でしかなかった。

家族という絆の代わりに、
傷つけられることだけが私を待ち受けていた。

罵声が響きわたり、
暴力の影が私の身体を襲う。

愛と温かさを求めていたはずの家庭は、
ただの名ばかりの存在に過ぎない。

私は絶えず苦悩し、孤独に包まれ、
心の奥底には闇が渦巻き、
絶望の底で生きていた。

しかし、大学3年の冬、限界が訪れた私は、
なにも持たずに家を飛び出すことを決意した。

真っ暗な夜道を彷徨いながら、
私は過去の闇からの解放を求めて進んだ。

心の痛みは私を追いかけ、
絶え間ない虚無感が胸を抉った。

家族や安定した生活を捨てる覚悟が必要だったが、もうこれ以上、苦しむことはできなかった。


知り合いの家を転々とする日々

私は友人や知人の家に泊まり込み、
その寄り道のような生活が続いた。

最初は歓迎され、
暖かく迎え入れてもらえることが救いだった。

しかし、長居すればするほど、私は迷惑をかけているのではないかという不安が頭をよぎる。

他人に頼ることでしか生きられない自分の無力さに、また苦しさが込み上げてくるのだ。



行く宛のなくなった私は、
心細さと絶望感に包まれながらも、
かつてバイトしていた外食チェーンの店舗を訪れることにした。

店に辿り着き、そこで店長に再会した。

店内は賑やかで、馴染みのスタッフたちが忙しく働いていた。私は迷いながらも勇気を振り絞り、店長のもとへと近づいた。

「すみません、お邪魔して申し訳ありません。実は私、行く宛がなくて困っていまして...」と、私は切り出した。

店長は驚きながらも、
私の話をじっと聞いてくれた。

私が抱える苦境や心情を包み隠さず伝えると、
店長は深い思いやりを込めて応対してくれた。

「困っているんだったら、できることがあるかもしれない。もし良ければ、うちの人事と話をしてみないか?」と店長は穏やかな声で言った。

胸に温かさが広がり、感謝の気持ちが溢れた。私は店長の案に喜んで応じ、人事部への紹介を受けることになった。

その後、人事部の面接では、
学生時代のバイト経験や成果、そして自分がこの会社で成長し貢献したいという熱意を語った。

人事の方々は店長の推薦もあってか、
私の意欲に共感し、正社員としての入社を決定してくれた。

店長の思いやりと支えによって、
私の人生には新たな道が開けたのだと感じた。



入社してすぐの頃は、
既存店の立て直しに全力を注いだ。

しかし、残業するたびに上司から
「なにも考えてないんだな」と
冷たい言葉を浴びせられることが多々あった。

そのたびに心が折れそうになったが、
なんとか私は自分を奮い立たせ、
前向きに仕事に取り組んでいた。

しかし、もう上司の言葉に耐えられなくなった私は、自分自身を守るため、何も言われたくないという思いから、勤怠の打刻をせずに働くことにした。


朝から晩まで、休日もなく何日も働いた。

店舗の改善に努めたおかげで、売り上げや利益は上がって、アルバイトからは「この店はあなたが作った」と言われるくらい凄かったんだぜ…

それにもかかわらず、私の評価は最低レベル

がんばっている姿勢や成果が認められなかった。

絶望のなか、エリアマネージャーに相談するも、
彼は店長と手を組んでいたようで、
私の悩みや苦境に対して
支援の手を差し伸べてはくれなかった…

孤立無援のなかで戦わなければならない現実に直面し、また心の痛みが増してきた。

そしてついに、上司から「この会社にお前は必要ない」と言われ、私は次の日から出社を拒否し、退職を決意した。


この出来事は、私に置かれた環境で咲く必要はないことを教えてくれた。

退職後、私は大学復学のための資金を稼ぐことを目標に掲げ、自身の幸せを追求する道を歩み始めた。

かつての私を雇ってくれた会社には
感謝の気持ちを抱きつつも、自分の幸せのために咲く環境を選ぶ自由もあると知ったのだ。

生きるうえで大切なのは、古い価値観にとらわれることなく、自分の人生を切り拓いていく覚悟を持つことだと思うよ。


わたしは今日も歩き出す

新たなる自由を求めて

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