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言葉のない手紙を送り続けて——北海道日本ハムファイターズ・宮西尚生が5年間続けてきた社会貢献活動を知って欲しい

あんなにも濃く街中に漂っていた金木犀の香りもきれいさっぱり失せてしまうと、ああプロ野球のシーズンが今年も終わりを迎えたんだな、と否が応でも実感させられてしまう。そんな晩秋と冬の始まりの間。

セ・リーグ、パ・リーグ共にご贔屓の球団は今年も優勝を逃してしまった。
この後のお楽しみといえば、投票によって選ばれる個人タイトルのニュースくらいだ。

シーズンが終わってしまっても起きてすぐにプロ野球関連のニュースサイトを巡回する習慣は体に染み付いているので、なかなかそう簡単にはやめられない。
個人的に関心のあるアカウントをまとめて巡回リストにしているので、最新のお知らせを見尽くしてしまうのにそう時間は掛からなかった。
右手の親指が全てのリンク先をつつき終わりそうになったタイミングで、ふと見慣れないとある賞の名前を見つけた。

ゴールデンスピリット賞

それぞれのポジションで守備に卓越した選手が選ばれる、三井ゴールデングラブ賞は知っている。でも、ゴールデンスピリット賞は恥ずかしながら初めて聞いた。

ゴールデンスピリット賞 日本のプロ野球球団に所属する人の中から、積極的に社会貢献活動を続けている人を表彰する。毎年1回選考委員会(委員名別掲)を開いて、球団推薦で選ばれた候補者から1人を選定する。社会貢献活動の表彰は米大リーグの「ロベルト・クレメンテ賞」が有名で、球界最高の賞として大リーガーの憧れの的に。日本では球場外の功績を評価する表彰制度は同賞が初めて。いわば「球場外のMVP」。

記事文中より引用

そんな今年の“球場外のMVP”として選ばれたのは、北海道日本ハムファイターズの最年長投手、宮西尚生。

逃げないピッチャー、宮西尚生

ねえねえ宮西ってどんな投手?
とセ・リーグファンの友人に訊かれたとしたら、どんな風に答えるだろうか。

「来季でプロ17年目のベテラン左腕」
「ルーキーイヤーから10年連続50登板達成してるタフなリリーバー」
「現役・歴代ともにNPB投手の最多ホールド記録保持者で、400ホールド目前」

これだけでもすごい選手だっていうのはまあ、伝わってはいると思う。
もうちょっと正直に、私自身が感じている宮西の凄さを語るなら。
端的に言えば「逃げない強さ」だろうか。

指標にもその一端が表れている。
9イニングの間(1試合27個のアウトを取る間)に、いくつの四球を与えてしまったかを表す、BB/9という指標。この数字が低ければ低いほど、ストライクを取る能力が高い投手といえる。
宮西の通算BB/9は「2.52」、彼のキャリア年数から見ればいかに優秀かが分かるはず。

つまり、どんな痺れる場面でも宮西は基本的にゾーン内で勝負してきたということ。

すぐにその姿が思い出せるくらいに目に焼きついているのは、今シーズンでいえば6月19日の試合。北海道日本ハムファイターズのファン、そして横浜DeNAベイスターズのファンならすぐにどの試合が分かるはず。

雨天順延で予備日開催、交流戦最後の最後になった、交流戦優勝が掛かった大一番。
4時間15分の、死闘だった。

ファイターズが同点に追いついた直後の8回裏。
勝ちパターンの池田が既に登板した後の同点回、かつ好調を維持していた左打の一番関根から始まる打順であることを踏まえれば、背番号は見えずともリリーフカーに乗っているのは宮西だとすぐに分かった。
こういう場面で名前を呼ばれるのは、経験豊富で肝が据わったブルペンの王様しかいない。

ストライクゾーンぎりぎり、9マスの端っこを攻めた結果の四球と死球を重ねてツーアウト満塁。
チャンステーマが鳴り響き、最高潮に声援と鳴り物の喧騒に満たされた横浜スタジアムの中で、マウンド上の宮西だけがただ一人静けさを保っていた。
やる事は変わらない、いつだってそうしてきた、そう顔に書いてある。

好球必打、ゾーン内の球は躊躇わず振り抜くバッターの多いベイスターズ打線に対しても、宮西は何も変わらなかった。
最後の打者・三番の佐野恵太を一球でキャッチャーフライに仕留めたのは、この球でのし上がってきたんだ俺は、と言わんばかりのスライダー。

私が知っていた通りの宮西尚生は逆三角形の照明塔に照らされて、レフトスタンドからの大きな歓声を背中で浴びていた。

一球速報に表示された「観客ため息」の文字。
きっとそれには、私のため息も含まれていたことでしょう。
打てんよ、そのスライダーは。

立ち向かう勇気を知る人は

その宮西尚生が5年間、とある社会貢献活動を続けていた。

選手個人で寄付や募金活動を行うのはそう珍しくないが、この支援活動は中継ぎ投手陣全体のホールド・セーブ数に応じて行っている。私の知る限り、球界史上初の試みだ。

——リリーフは3年やったらすごいって言われるぐらいやから平均寿命が短い。いつけがするかわからへんし、それじゃ一過性のものになる。自分が(現役を)終わっても、何十年も続いてほしいと思ったから、新しい仕組みを作りたかった
〈中略〉
ホールド、セーブの数が多くなればなるほど、チームは優勝に近づく。寄付額も上がる。全てがいい循環になる。こういう形があるんだよ、と輪が広がればうれしい

記事文中より引用

チームのために腕を振り続ける、一日、一試合、一イニングでも多く。
それも、一人だけじゃなくブルペンに居る全員が、自分以外のためにも戦う。
その仕組みだけでもとても素晴らしい試みだというのに。

支援先は、北海道こどもホスピス。

こどもホスピスは、いのちを脅かす病気(重い障がいや難病、小児がんなど)とともに生きるこどもとその家族が、病院とは違った家庭的な環境の中で安心してくつろぐことが出来る施設。この活動が始まった当初、こどもホスピスは東京や大阪にはあるものの北海道にこういった施設は存在しませんでした。
そうした中「北海道こどもホスピスプロジェクト」へ寄せられた多くの支援活動が実り、昨年ついに仮施設がプレオープン。

施設を訪れた宮西はこんな風に語った。

——僕も子供のころ1週間くらい入院したことがあって、小さいころは親と離れるのがやっぱり怖いんです。支援に携わってきたことが形になり、自分のことのようにうれしいです。(プロジェクトへの)理解と支援の輪を広げていくことも僕たちの仕事の一つだと思っています

この言葉を見て、
「病気と闘っている人たちと、中継ぎ投手ってどこか似ているのかも」
なんてふと思ってしまった。

場面を選べず、選ばず、行けと言われればマウンドに向かう。
例え塁が埋まっていて、自分のせいではないにも関わらず絶体絶命の局面でも。

一度病気になってしまうと、寝ても覚めても絶えずその存在を認識させられる。
誰のせいでもない。そんな事は分かっている。それでも、やだよ!なんで私が!って言い寄りたい。誰かに。

病に向き合う時、向き合わないといけない時。人は強く孤独を感じる。
本当はいつだって生まれてから死ぬまで一人なんだけど、その事実が急に濃く浮かび上がってくる。病気になると、何度も覚悟して、何かを諦めて、また覚悟して、その連続だ。これは想像でもなんでもなくて、自分もまたがん患者の一人として日々思い続けていること。

「大変だね」「応援してるよ」「前向きでかっこいいね」

沢山の言葉を寄せてもらうけど、本当は応援されるような立派な人間でも無いし、時によってはそんな言葉自体受け取る余裕も無いくらい、かっこわるい人間なんです。

でも、スタジアムのど真ん中、一番明るくて少し高くなっているあの場所。
あそこにただ一人立って打ち負かさないといけない相手に向かっていく彼らを応援することで、勇気が湧いてくることは何度もあった。

応援って一方的なものだと、ずっと思い続けてきた。
でも、宮西が続けてきたこの活動に触れて、少しだけ考えが変わってきた気がする。

日々立ち向かい続ける怖さや覚悟を知るからこそ、手を差し伸べられる人がいる。支えられたことがある人じゃないと、誰かを支えることはできない。
16年もの間、声援を送られ続けてきた彼がこの活動を続けていることに意味がある。薄っぺらい言葉ではなく、自分とその後輩たちが戦う姿そのものを見せて「俺たちも頑張るから」とホールド・セーブを重ねて勝っていくことで、支援が続いていく。一方的に送り続けてきた声援は、こうして知らない誰かに回り回って届くことになる。

活動を知ってから彼らを応援していくのは、それ以前と比べてほんの少し、意味合いが変わってくるんじゃないだろうか。

今オフ、宮西は海外FA権を行使せず残留し現役続行することを表明した。
前人未到の記録、通算400ホールドまで、もうあとわずか7。

誰よりも相手に立ち向かう勇気を知る宮西尚生は、自分自身の積み上げた記録のため、そして別の場所で闘う小さな戦士たちのために、その左腕を振り続ける。

立っている場所は違っても、一緒に闘っているから、と。

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