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夢描け鮮やかに 空高く

私たちは、別れに慣れてなどいない

FA権取得。
プロ野球選手にとってそれは、キャリアにおいてひとつの岐路とも言える節目だ。

ベイスターズファンにとってそれは、今まで応援してきた愛する選手との別れを覚悟しなくてはならない重みのある言葉だ。

チームの歴史が、それを物語っている。

現読売巨人軍のコーチ陣に連ねられた、数々の名前。

歌えなくなった、数々の応援歌。

そして「4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史」で語られている、球団OBの村田修一が語った言葉。

年棒などの契約条件は、DeNAの方がよかった。ただ、残留の交渉が始まった時から『村田君は優勝するために出ていくんでしょ』という空気があって…
《中略》
欲しかった強い言葉は、いただけませんでした。


去っていった選手は、誰もが最初から愛するチームとの別れを望んでいる訳ではない、はずだ。
私たちファンだって、声を枯らして応援してきた彼らが違うユニフォームに袖を通す姿なんてなるべく見たくはないものだ。
なのになぜだろう。重ねてきた別れの数が、あまりに多い。
過去の球団が取ってきた方針なのか、染み付いた風土的なものなのか。

FA権取得の見込み、の文字を見るたびに
「○○がいなくなったとして…」
と冷静にチーム状況をシミュレーションし、襲いかかってくるかもしれないさびしさから目を背けた。

心が鉋に掛けられるようだった。
鉋掛けされた後に積もったそれは、見ることもせず足で押しやった。

6回裏、代打宮﨑

10月26日、対東京ヤクルトスワローズ戦。
今シーズン最後の本拠地戦だ。

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試合結果は広く知られている通り。
1-5でベイスターズが敗れ、甲子園では阪神が敗れた為、東京ヤクルトスワローズのリーグ優勝がここ横浜スタジアムで決まった。

燕達が作る歓喜の輪が生まれる少し前。

試合前にスターティングメンバーが発表された時、そこに宮﨑の名前は無かった。
基本的に若手中心のオーダー、彼が去ったらこうなっていくのかな…なんてつい考えてしまい、心にまで冷たい秋風が吹く。

6回裏、牧がリーグ新人二塁打記録更新となるツーベースを放ったのがきっかけとなり、ツーアウト一、三塁の好機が生まれた。

打順は捕手の戸柱だったが流れてきたのは宮﨑敏郎の登場曲、ロードオブメジャーの「心絵」

宮﨑の名前が代打としてスタジアムDJにコールされた瞬間、その日1番の大きな拍手、そして揃った手拍子が鳴り響いた。
スタジアム全体に、驚くほど沢山の「宮﨑敏郎」と書かれた青いタオルが掲げられている。
よくよく辺りを見回せば、背番号51のユニフォームを身に纏った人がいつもより多い気がする。

横浜スタジアムで彼に会えるのは、最後かもしれない
たとえスタメンに居なくても、私たちの想いを届けたい

ファンの想いが景色一杯に満たされていた。

こんなに胸に迫ってくる代打コールは初めてだった。

夢は正夢

広島で行われたシーズン最終戦が終わり、その翌日の10月29日。

横浜DeNAベイスターズ黎明期からチームを支えてきた背番号51は、FA権を行使せず残留を選んだ。
球団から提示されたのは、かつて三浦監督が現役時代に受けたものと同じ6年契約。
三原球団代表、三浦監督からも「来年からも一緒に戦おう」という言葉が向けられたそうだ。

※以下、会見内容より抜粋

心が決まったのはホーム最終戦が終わった後です。最後、グラウンドを1周するときに、これだけのファンがいらっしゃって、声は出せない中でも球場に足を運んでくださっていて、そこで恩返しというか、僕たちも勝たないといけないなと

球団ができ得る限りの誠意を尽くし、ファンもできる形で気持ちを伝えた。
その結果(たとえリップサービスだったとしても)球団の姿勢、そして私たちファンの思いを確かに受け取りました、と宮﨑は語ってくれた。

そして、会見を終えた彼が持つ色紙に書かれていた言葉が

“生涯横浜”

もうプロポーズじゃん。


北海道日本ハムファイターズの栗山監督が掲げる信念に「夢は正夢」という言葉がある。
夢は叶えるために見るもの、という意味だそうだ。

ありがとう、宮﨑。
宮﨑が横浜で描いた夢を、一緒に叶えたい。
今までの悔しさ、悲しさの分、大きな喜びを味わおう。
そして来シーズンこそ、優勝しよう。


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