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ゆるす?についての話(毒親,DV,モラハラ)#家族について語ろう

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2023/9/23  追記

虎吉さんに
『家族について語ろう』 というマガジンに
お声かけいただきました😊

虎吉さん、ありがとうございます🍀

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昨日投稿した記事にコメントをいただき、
それがきっかけで大事な視点を頂戴したので、
今日はそれについて書きました。

(まゆはさん、ありがとうございます☺)





昨日の記事を読んで、
「コレって、今まで自分がされたことも肯定しろってこと?」と思った方や
「え?何?すべてを受け入れる聖人にでもなれと?」と思った方もいるかもしれません。



結論からいうと、違います。

私は、

【 自分がされて嫌だったことを無理に肯定する必要はない 】と思っています。


だって嫌なもんは嫌やし。

それに、
自分の「嫌だ」を押し込めてしまうと、
【嫌なのに我慢してやらざるを得ない状況】
がまた別の形で回ってきてしまうんですよね

悔しくないですか、
現状打破したくて一生懸命なのに
また我慢しなきゃいけないって、

なんで自分ばっかり・・・って思いますよね



そして、
長年我慢ばかりしてきた人ほど、
「自分は本当は何が好き?」で
「自分は本当は何が嫌い?」が
わからなくなってくる

我慢しなきゃと感じること
=自分にとっては嫌なこと

っていう感覚すら麻痺してるかもしれない

(私は麻痺してました)




なので、たとえば、
自分に我慢ばっかり強いてくる相手がいたとして、
こう考えてみるのはいかがでしょうか

「あ、この人、嫌われ役になって、
 “私は本当は何が嫌なのか”を
 思い出させてくれてるんだ・・・

 されたことはマジでムカつくし
 ほんとムリだわーって思うけど、
 自分の好き嫌いを
 思い出させてくれたことについては、、
 
 あんがと」

( 視点が切り替わった!)





先ほどの例は視点が変わったことで
有り難いなと思う一例ですが、

純粋に、されて嬉しかったことを
ひとつでもいいから思い出したり、

シンプルにその人の秀でたところを探すのもいいと思います。(客観的に秀でたところ、その点を無理に好きになる必要もない)



そして、
それら と ゆるせないところ とは
“ 別のこと ”として捉える



感謝できる点があるなら離れちゃいけないなんてルールはどこにもないので、

尊敬できる部分もあるし、
感謝できる部分もあるけど、
それでもやっぱり苦しいから離れるって、
何も悪いことじゃないと思います



どうして昨日の記事を書いたかというと、

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」スタイルは、
本当にどんどんどんどん “自分自身が” 苦しくなるし、
状況を変えようとしても負のループに陥りやすいので、

これを読んでくれている方が、
それで苦しみ続けるのは
私が嫌だし悲しいからです



🌠「ゆるし」と「感謝」について、
小林正観さんの記事で素敵なものがありました




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あと、もうひとつ、

「ゆるす」という言葉について



「ゆるしましょう」

って言葉に対して、以前の私は

「なんで嫌なこと我慢してきた側が
また我慢して相手のこと肯定せなならんの?」

と、思ってました。




でもそれは、
私の思い込みだったんです

よっかたら調べてみてほしいのですが、

「ゆるす」ってね、
「罪や過ちを責めない」って意味なので、
肯定まではセットじゃなかった…!

ということは、肯定しなくても
「気にならなくなればOK」
なんです





もう一歩踏み込んで、

「ゆるす」の語源は、
「緩ます」にあります。

固く縛ったものがゆるくなる
ことなんです



なので、「ゆるす」って

人格者になる必要も
聖人君主になる必要も
強靭なメンタルを持つ必要もなくて

私たちが日ごろから

ふぅ、って脱力できるようになって

つらい出来事を思い出したときに
「そういえば、あんなこともあったな」

って思うようになれれば、もう十分
なんじゃないかと思います




だから、
許せない人がいて苦しい人は、

まずは

その相手に意識を奪われなくていい環境
(例:物理的な距離、時間、他に集中できること、心身の健康、新しい知識  など)

そして

自分がゆるむことができる環境
(これは十人十色ですね!)

を整えることをぜひ
目指してみてほしいです🍀



※これに関して、
 親との関係で実体験があるので、
 近いうちに、記事にしますね。

( 2023/9/29  追記 )書きました👇



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そうは言っても

受けてきた傷の数も深さも人によって違います。

何を嫌と感じるかも人によって違います。

(そもそもが比べるものじゃないかもだけど)
私よりももっと
激しく深い傷を負っている人が、
今この記事を読んでくれている人の中にもいらっしゃいます。



その人たちが受けた苦しみを思うと、
気軽に「ゆるしましょう」なんて
私には言えません


苦しさも悔しさも寂しさもやるせなさも
感じることをそのまま否定せずに

いまは

時間をかけて、

ゆっくり、

休んでほしいです





ただ、これは私にも言えます!

「一緒にゆるんでいきましょう^^」



読んでくれてありがとうございました。

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