毒親が “ただ親” になった世界( #家族について語ろう )
※この記事は、危険を伴う環境に戻ることを推奨するためのものではなく、あくまでも “選択肢のひとつ” として参考にしていただければ幸いです。どんなときでも、身の安全を最優先されてくださいね※
こちらの記事の中で
「書きますね」と言っていた内容です。
…
私は今年、
親との関係が
毒親子 から ただの親子
になりました。
なんで?と思う人、
いいなぁと思う人、
うわぁ無理と思う人、
色々だと思います。
皆さんが、
どの世界を選びたいか、の
参考になれば幸いです。
…
前情報として
ざっくりした自分史をいうと
機能不全家族で育ち、
20代前半の頃に、
もう無理だなと思う出来事があって、
親と縁を切る、と決めました。
その後、居場所を求めて
勢いで結婚するも、
傷だけを絆にした関係性が
お互いを支えられるわけもなく、
夫婦関係はすぐに破綻。
最終的には、安全のために
赤子を抱えて逃げることとなります。
以降は、
離婚・病気・保護、
福祉に支えられながら社会復帰、
そこから
経済的/精神的な自立を経て、
今に至るといった感じです。
当時は、
「親に頼るぐらいなら死んだほうがマシ」
と思っていたので、
当然、親は、
これらの過程を知りません。
(たぶん今後も話さないかなぁ)
…
親と連絡をとったきっかけは、
今年の正月に原因不明の不調が続き、
ある日突然、
「子どもと真剣に向き合うには、
先に私が自分の親と
決着をつけなくては」
と思い立って、
実家に手紙を送ったことが始まりでした。
何度かやりとりをした後、
親から「会いにいく」と言われます。
元々は、
親のことを思い出すだけで
吐き気がしていたので、
会ったらまた
心身壊すんじゃないかと
悩んだ末、
思いつく限りの
防衛線を張ったうえで
会うことにしました。
そして春、
実際に会った両親は
“ とても小さく ” 感じました。
以前は、親の存在は、
“ とてつもなく大きな壁 ”で、
「ここから抜け出すことなんてできないんだ」と、牢獄で手枷足枷をつけているような気分でしたが、
目の前の小さく感じる者たちを眺めながら、
「私は一体何に怯えていたんだろう」と
拍子抜けしてしまったぐらいです
(もちろん、洗脳的に思想を
植え付けられている間は、
その相手を “ただの人” とは、
全く思えないですよね)
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ここまで読んでくださった方は、
「そうか、親御さんが改心したんだなぁ」
と思われたかもしれません。
残念ながら(?)、
親自体はさほど変わっていません(笑)
もちろん、
年齢に伴う身体の衰退 や
スローライフによるゆとり が
多少は言動をマイルドに
しているのかもしれませんが
思考回路も
選ぶ言葉も行動も
「相変わらずやなぁ」と
こちらが苦笑してしまうほど、
基本的には変わっていません。
ただただシンプルに、
“ 私が影響されにくくなった ”
だけなんです。
…
それは、同時に
“ 私が相手に影響を与えない ”
ということでも
あるのかもしれません。
「こんな親だったらよかったのに」
「なんでわかってくれないの」
は、そのまま、
「こんな子だったらよかったのに」
「なんでわかってくれないの」
になって、自分に
跳ね返ってきていました
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こちらの記事の中で、
①その相手に意識を奪われなくていい環境
②自分がゆるむことができる環境
をまずは整えてみてくださいね、
と書きました。
筆者自身に当てはめてみると、
絶縁期間(距離・時間)に
日々の生活(仕事家事育児)に集中しつつ、
違う世界の人と接するチャンス(新しい知識・考え)を掴んだ
によって①が整えられ、
人に助けを求めるスキル、
意識について学ぶこと、
身体について学ぶこと、
在りたい状態を続けること、
子どもやパートナーの存在、
によって②が整い、
その結果、私は
『親がいなくても生きられる人』になりました。
ここまでで、
もういいのかもしれません。
ここが一番バランスとれる時は、
これでいいと思うのです。
冒頭にも書いた通り、この記事は、
“親がいる世界の参考のひとつ”として
書いています。
ただ、
私の人生(魂)は、
『親がいてもいなくても生きられる人』
になることを
私に望んだようでした。
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もちろん、
“ただの親子” になったからといって
実家に戻るわけでも、
言いなりに戻るわけでもありません。
「距離を保ちます」
「嫌なことは断ります」 は、
連絡をとる最低条件として
親に宣言していますし、
「条件に反する場合は関わりません」
とも伝えています。
そんな面倒くさいことをしてでも
“ただの親子” を試そうと思ったのは、
毒親 が ただ親 になる世界、
毒親子 が ただの親子 になる世界を
見てみたかったからです
そして、
果たしてそれは、
人にオススメできる世界なのだろうか
うーん、わからない。
よし、自分で実験してみよう
と思いました。
(私ちょっと変ですよね 笑)
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文章がうまくまとまらず恐縮ですが、
まとめの代わりに
「毒親子 ⇒ ただ親子」のポイントを
箇条書きにしてみました。
◇ ただの親子になったのは
親が変わったからではない
◇ 親子に戻ることが目的だったのではなく、
単純に親の影響を受けなくなった結果、
ただの親子になっていた
◇ 親は親の世界を生きていて、
賛同も共感もしなくていいけど、
ただ別の世界を生きてんだなって
ことに気付くだけでよかった
◇ 親子になったからといって
YESマンに戻る必要はない
望まないことには 「NO」を言う
◇ 親子になったからといって
一緒にいる必要もない
◇ 親子でも危険なときは逃げる
◇ 「親がいる世界」と
「親がいない世界」、
そのどちらもが “自分で選べる”
ということを常に意識する
こんな感じかなぁ。。
他にも思いついたら、
後日また追加しますね☺
…
この秋、
10年ぶりに故郷の土地を
踏みしめます。
大好きだった祖母の仏壇に
やっと手を合わせられる
この事実だけでも、
ただの親子になってよかったのかも、と
今のわたしは感じています。
おばあちゃん
長いこと待たせてごめんよ
もうすぐ行くからね
ありがとうございました🍀
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