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Poppy


音名象徴作品シンフォニアート第三作品《Poppy》



Poppyの音はそれぞれ音に当てはめるとシラシシレとなります。
 

ポピーの花言葉は感謝、喜び、慰め


感謝と喜びに加えて慰めが意外でしたが、
この3つの花言葉から私は感じたことがありました。

私が考える〈感謝〉なのですが
人は失ったときや、失望した時に初めて大きな感謝が来るのだと思います。

大きく落ち込んだ時に差し伸べられた手に感謝するのも、前提に失うことやどうにもならないことがあったからだと思うのです。

離れてしまってからその存在の大きさに気が付き
悲しみ、そして癒され、慰めを受け、感謝に変わり、
最後に喜びになるのだと。

感謝というものは、後悔や、悔い改めやなどが伴うととても大きなものになるのだと思います。



 
私が好きな哲学者・西田幾多郎の言葉で

涙をもってパンを食うた事のない人の人生観は、
いかほど価値のあるものであろうか。


 という言葉があります。
 
 
 
苦労をしたからと言って万人の胸を打つ作品を生み出せるわけではなく
全てを感じ取れるようになるわけでもない。

苦労が有意義な人生にするわけでもなければ
苦労していないから意味のない人生というわけでもないです。
 

ただ私は思うのです。
それを知っているのと知らないのでは
やはり人生を生きる上での物事の感じ方や
人への寄り添いは違うと思います。
 
西田幾多郎は、子供の死、妻の死、自身の病、学歴上の不遇、
そのほかにも様々な試練がありました。
身近な存在との別れを幾度となく繰り返し苦悩した哲学者でした。
 
沢山襲い来る苦悩の中でよりよく生きるため「善」を追求し続け、
【善とは一言にて言えば人格の実現である】と述べた彼の姿勢は
私にも励ましをくれます。


悲しみの後にくる慰めをうけて、感謝になり、喜びになる。
そしてその喜びはこれから生きていく上での灯になる。

光りは影があってこそ強く浮かびます。
喜びと反対のことがあったから感謝に繋がるのだと。
 
私はポピーの花言葉からこれらのことを連想しこの曲を作曲しました。
                                https://youtu.be/zAXzEBOUK0s

【Poppy】 
 
こころに慰め 
湧き上がる喜び
貴方へ送る沢山の感謝

もし今伝えられたなら
今よりもっと大きな感謝を伝えたい

慰めという名の恵みに
喜び、感謝しよう



私の体験でいうと

今まで様々な形でお別れしてきた親族や友人や愛犬、愛鳥には今でも感謝しています。

でも当時は悲しさと後悔などでいっぱいでした。
こうしてあげたかった、もっと言葉を送ればよかった。

でも悲しみの中で様々な人やモノや現象に
慰めを受け、励まされ

それらのことに感謝をすることができるようになり
悲しさや後悔は次へのよりよい肥やしになり感謝に変わる

感謝できる自分へと導いてくれた過ぎ去った存在へ
もっともっとたくさんの感謝が広がるのです。


現在関わっている方への感謝も勿論大きな感謝なのですが、
いなくなってしまった存在への想いは後の人生観に影響を与える気付きになります。

たとえそれが自分にとって寂しかったことでも辛かったことでも
根腐れして枯れるか
育とうとして最後に花を咲かせるかは

常に水や栄養を吸収しようと耐え
常に太陽の光を向こうとする植物のような心を持つこと次第だと思います。
 
 

今回のPoppyでは全体的に穏やかな雰囲気で調和されています。
途中に雰囲気が変わり少しアンニュイになり人生の転換期や転機、心境の変化を連想させます。

そして後半は主題のメロディーに戻りまた旋律を奏でます

しかし段々と
バイオリンとチェロで共に似ていたメロディーが徐々に離れて
個々のメロディーを奏ではじめます
 
そしてまた上手く調和しつつ重なり合い
また独立したメロディーでお互いを奏であう

しかし独立したメロディーは
もう全く同じに交わることがなく
途中で消えていく音もある。
 
出会った音や旋律に感謝して共に奏で
そして別々の方向へ去っていく

最後は安心した中へ消え行く音たち
 

出会った存在はいずれどのような形であれお別れする。
そのすべての出会いに感謝して喜び生きよう。


そんなPoppyのお話でした。


Maho


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