『蛇』か『縄』か
夜中に
我が家の次女(小4)は、夜中に目が覚めて眠れなくなると、私を起しに来る。
そして
「ママ、一緒に寝てくれる?」
と言う。
私は、ふらふらしながら娘のベッドまで移動し、もう一度眠りに入る。
昨晩は、移動途中にトイレに立ち寄ることにした。
トイレのドアを開けると、足元に黒い物体がありビクッとなった。
寝ぼけた頭で思考を巡らし、タオルが落ちた?と思い少し視線を上げると、タオルは掛かったままだ。
恐々と電気をつけるとそれは、、、
子供用のスリッパだった。
ええ、いつもそこにあるスリッパ。
一つ言い訳させていただくと、大人用のスリッパは白くて暗闇では存在感なかったけど、子供用は赤くて暗闇では黒く見えたんです!
『蛇』か『縄』か
ヨガでよく出てくる
『夜道に落ちている縄を蛇だと勘違いしてしまう話』
を思い出しました。
心に恐れがあると、無意識にネガティブな感情に意識が集中していることの例えです。
確認せずに逃げてしまえば、真実を知ることができません。
昨日の私も無意識に
『暗い=不吉』
という先入観があったんでしょうね。
『暗い』というだけで『怖い』がついてきませんか?
どんな状況で人は見間違うのか?
私が電気を点けて確認せず、そのままドアを閉めてしまっていたら、私はその後も寝ぼけた頭で「あれは何だったんだろう?」と考えて眠れなかったかもしれません。
最終的に、「あースリッパか!」となっていたかもしれませんが、そこに至るまで、いろんな可能性を考えて、無駄に怖い思いをしていたかもしれません。
『思い込み』が『架空の現実』を作っているということ、よく起きていると思います。
ここで重要なことは、“真っ暗ではなかった“ということ。
真っ暗であれば、そもそも何も見えません。
見間違うということが起こらないのです。
昼間に見ていれば、きちんと見えていたはずです。
人は、薄暗いときに見間違うんですね。
心の作用
心はいつも揺れ動き、とどまることを知りません。
想像や妄想で悪いことを想像して心配し、それが真実であるかどうか光を当てることをせずに、自分を過小評価したり、物事をネガティブに捉えていることがあるかもしれません。
人の習性なのか?薄暗い状況で判断してしまうことが圧倒的に多い気がします。
(余談ですが、スリッパの色の違いで存在に気付いたり気付かなかったりするということは、見間違い易い出来事とそうでないこともあるということでしょうね。)
それなら、真っ暗闇の中で無知であることがいいのでしょうか?
そうすれば、知ることを手放し、思考を止め、傷付かない自分を作れるのでしょうか?
おそらく、それでも人は不安であると思います。
光を当て、明るくし、明らかにする。
そうすることで、正しく知ることができ、明るい心が作られると思うのです。
真実を知るには、勇気が必要です。
冷静な心、受け止める強さ、立ち上がる逞しさ、そんな自分を作るために光を当てる力を持つのが、ヨガのアーサナ(ポーズ)や瞑想なんだと思います。
ヨガ哲学のこと、まだまだ奥が深く理解できていないところもあるけれど、まずは体と心で感じることを大切にしていきたいです。
今日も大好きなヨガができることに感謝!
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