蘇生死刑 #4/9
「……の……は、そのぜ、Zは、どう、どうなった? わた、私は……だ、れな、んだ?」
どうにかして、情報をかき集めなくては。
私は、一体何者なのか。そして、この男の目的は?
「もう、話せるようになったな。そうでなければ困る」
視界の端で白衣の男の体が沈むと、ギシッと金属の軋む音がした。おそらく椅子に腰を下ろしたのだろう。
「質問に答えよう。とはいえ、何事も順序が重要だ。さきほどの話、アマダやZの話だ。あれは、君に大いに関係のある話だ」
登場人物が、加害者か被害者しかいない話に、私がどう関係するのだろうか? ただ……、この状況だ。穏やかな答えは、期待できないだろう。
現実を直視しなければいけない。
ずっと、ずっと、おかしいと思っていた。
たとえば、私の手。いつまで経っても動かせないのだ。指先すら、ほんの少しも動かせない。
一体、どうなってしまったんだ。
頭が重い。それでも、歯を食いしばって首を持ち上げる。
自分の体を見た。
力が抜けて、そのまま頭を枕に落とした。
ああ……。やはり、という気持ちだ。
私の腕や体は、拘束などされていなかった。それでも、動かすことができなかった。なぜなら、動かすための機能を削がれていたからだ。
右腕は、肘より先の前腕部が欠落していたし、左腕にいたっては、肩を残して二の腕から先がない。
足も……、ブランケットに隠されてはいるが、あるはずの膨らみがなく、陥没したようにペッタリと沈んでしまっている。
手や足だけではない。はだけた服から見えた体は、継ぎ接ぎのような手術痕でその体裁が保たれ、パッチワークの人形にされた気分だ。
そして、皮膚は、ところどころただれて、褐色の斑点が点在している。
夢でみた半分の男を思い出す。
半分とは、体が半分ということだ。
「な……ん、で」思わず、ため息が出る。
私の様子など、おかまいなしに、白衣の男は言う。「それと、Zだが……」マスクで覆われた表情は、感情が読み取れない。うっすら笑っているようにも見える。「実は捕まっていないんだ」
それ以上は何も言わずに、私の反応を窺っている。血の巡るような空調設備の音だけが沈黙を埋めていた。
「そ、んな……」
そんな馬鹿なことがあるだろうか。この男の話が本当ならば、嗜虐的で猟奇的な犯罪者が未だ捕まらず、野放しにされているということになる。
イマジネーションが恐怖心を掻き立てる。継ぎ接ぎの体、ただれた皮膚、そして気味の悪い話を語る怪しい男。アマダとは、つまり……。
ギイッ。
耳障りな音と共に、男は立ち上がった。ゆっくりと歩み寄り、触れられるほどの距離まで近づく。逃げ出したい衝動に駆られるが、私の体は動かない。
「こう、考えているだろう」白衣の男は私を覗き込んで言った。「もしかしたら自分がアマダかもしれない。そして、この私こそZなのではないかと」
明確にそう思ったわけではないが、導かれた先は確かに私の根底にある恐怖心の源泉だった。小さな水の流れが川を作るように、それは確信に変わっていく。
声を出すことはできる。頷くことも首を振ることもできるはずだ。しかし、体は硬直して動かなかった。私の返答いかんで、次の瞬間には、目玉を抉られてもおかしくはないとさえ思えたからだ。
「随分怯えているようだ。Aよ、君の今の心境を正直に語ってほしい。君の口から発せられることに意味がある」
小さく、それでも深く呼吸をした。私はこの男に殺される。それは、もう逃れられない運命のように思えた。それを受け入れると、ほんの少し、不思議なことに希望が湧いてくるのを感じた。
唾を飲み込むと、喉の張り付いた粘膜が無理やり引き剥がされる。
「……言う。しょ、じきに、言うから、ひと、二つ、約束してほしい」
「それは、内容によるな。言ってみなさい」
「ど、か、どうか、私を殺す時は、……その前に、かな、必ず教えてほしい」
自分が死ぬことを前もって知りたいという人間は多くはないだろう。私だってそうだ。ただ、この状況においては……、常に瞬間的な死に怯えながら生きているこの状況においては、そうすることが何より健全に思えた。
殺されるまでは死なない。さっき湧き上がった淡い希望はそれだ。逆説めいた迷案は、少しでも人間らしく生きたいと願う悪あがきに過ぎない。
「それは、約束しよう。君を殺す時はちゃんとその旨を伝えると」
やはり私は殺される。
「さて、それで二つ目の約束とは?」
「わた、私が殺してほしいと言ったら、きちんと、きっちり、ころ、殺してほしいんだ」
「ほう、その意図は何だね?」
「体が動かないんだ。じ、自分で死ぬこともままならない。生きたまま、ま、解体されるなんて……正直、耐えられない」
「というと、君は、生きたまま標本にはされたくないと? 自分の標本の出来を、自分で確認したくはないのかね?」
「それは……そっちの勝手な理屈じゃないか。ああいうのは、よ、よく分からないが、死後に作られるものだろう。しかも、生前の本人の意思を尊重しているはずだ。わ、私は標本にはなりたくない」
「では、Zの意向には沿えないと?」
「あ……、当たり前だろう! に、人間を何だと思ってるんだ、鬼畜の所業じゃないか!」
はらわたが煮え繰り返る、そんな表現が適当かもしれない。今の私に、はらわたが残されているのかも疑わしいが。とにかく、私の生死はこの男に握られている、ということも忘れて喚いていた。理不尽な仕打ちを受けていると思った。
「いや、全くその通りだな。君の口からそれが聞けて嬉しいよ。この試みは概ね順調といえる」白衣の男は、目を細めた。
「試み?」
「しかしね、二つ目の約束は、そのままきくわけにはいかないな。君を殺すタイミングは、こちらで決めないといけない。もちろん、君を殺すと宣告した上でだがね。その約束は果たそう」
頭が痛い。引いては迫る波のように、それは徐々に私の意識を飲み込もうとしていた。
「何が……、目的なんだ? なぜ、こんなことをする?」
「ふむ、至極当然の質問だな。だが、それはこっちが聞きたいくらいだ」
男が背中を向けて一歩、私から離れた。それだけで死が遠ざかる気がする。まるで……。
「私が死神のようかね?」
「どうして」
「分かるさ。嬉しいよ、君が常識的な感覚を持ち合わせてくれていて。さぁ、真実に向き合うときがきた」
男はまた一歩、今度は横たわる私の下肢方向に向かって歩みを進めると、そこで振り返り、私の顔をじっと見た。位置的には、私の欠落した手首の辺りに立っている。私が、一番楽な姿勢で顔を合わせられる場所だった。
「君はなぜ、自分が殺されると思ったのだ?」
「それは、お、お前が……」
「私がZだからか? それは違う。私はZではない」そう言って首を振った。「コーダと名乗っておこう」
「こおだ、コーダ?」
「それでも、君は死ななければいけないのは確かだ。しかし、殺すのは私ではなく法だ」
法? 法律?
「どういう……、なぜ」
カチリ。
まただ。また、スイッチが押されるような音がした。
「さあ、復習の時間だ。よく思い出しなさい」
「ふ、ふくしゅ」
遠のく意識の淵で、それは私の耳に確かに届いた。
「ツダコウシ、Zというのは君のことだ」
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