見出し画像

人殺しのリズム

 サトミは闇の中で、水面みなもに立つ波紋を見た。
 それは、サトミの心象風景で、実際のものではない。サトミは小さい頃の事故で視力を失っていた。
 大きい波紋、小さい波紋、それらは不規則なリズムを生みながら、サトミに近づく。
「こんにちは、おばさま」
「あら、よく分かったわね」
「いえ、……そろそろ、いらっしゃる時間かと思って」
 サトミは人の足音のリズムで、その持ち主を判別することができる。このことは、誰にも言っていない。
「サトミさん、今度、あなたのおばあさまのところに引っ越すのよね? 大丈夫なの? いくら昔、有名なバレリーナだったとはいえ、もう歳なんだから」
「私は目が見えないので、助けていただけるのは大変ありがたく思っています。また、私もおばあさまを支えてあげたいんです。……その、タケルおじさまのことは本当に……」
「そうね。まだ犯人は見つかっていないそうよ。でも、あなたが無事でよかったわ」
 父方のおじのタケルは、両親のいないサトミを引き取っていたが、先日なにものかに殺害された。サトミの目の前で。
「タケルおじさまには本当によくしていただいて……」
 それは嘘だ。タケルはサトミに暴力を振るい、目が見えないことにつけこみ、性的な虐待を加えていた。
「タケルは、あなたのために惜しみない援助をしてあげていたはずよ。少しでも手掛かりになることがあれば、警察に話すのよ」
「はい、もちろんです」
 そのうち、いくつもの波紋が水面に生まれる。あれはいとこ。これは母方のおじ。おば。
「サトミさん、さあ行くわよ」
 タケルの初七日はつなのかの法要で、親族が集まっていた。
「すみません、少し疲れてしまって。私はゆっくり向かいます」
「そう。気をつけて来るのよ。遅れてはダメよ」
 それらの波紋は小さくなり、やがて消えた。
 ああ、耳障り。
 サトミは待っていた。
 やがて、それは現れる。
 小さく柔らかい波紋。暖かく、同時に、震えるほど研ぎ澄まされている。
「おばあちゃん」
 そのリズムは、サトミの水面に光を灯す。
 力強さや早さには年齢を感じさせるが、祖母のそれは丁寧で優しかった。
「サトミ、疲れてない?」
「うん、大丈夫」
「そう」

 あの日の、あの出来事、あの美しいリズムは生涯忘れることはないだろう。
 目が見えないサトミは、芸術作品を確かに見た。
「な、なんで、あんたがここに」
 それがタケルの最期の言葉だった。
 美しい運足うんそく。無駄のない三拍子。サトミはララバイを聴いた。
 アン・ドゥ・トロワ・アン・ドゥ・トロワ
 それは、タケルの周囲をぐるりと一周して、キャンバスに華を咲かせた。その華は、きっと赤い。
 私は助けられたのではない。哀れとおもって、生かされたわけでもない。芸術家は作品を誰かに見てほしいのだ。
 アン・ドゥ・トロワ・アン・ドゥ・トロワ

 了

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?