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蘇生死刑 #9/9

 残り、頭・胴体・右肩・右肘・右前腕・右手・左肩・左肘・左前腕・腰・右大腿部・左大腿部・左膝・内臓少々

 暗い部屋。あまりに暗い。
 小さな白熱灯がひとつ。
 きっと、スプラウトすら育たない。
 男が一人と、半分の男が一人。
 びんの中の液体に浮かぶ臓器。
 それを持つ男が、その瓶に入った臓器を、半分の男の顔の前で左右に揺らす。半分の男の濁った目は、その臓器を追って左右に動いた。
 かつて、半分の男の一部だった大切なもの。
 半分の男の乾いた唇が、かすかに動く。
 縦にパクパク。横にパクパク。
 なにかを伝えようとしている。
 男は、半分の男の口もとに耳を近づけ、その声を聞いた。
 ――コ、ロ、シ、テ。

 「目を覚ましたかい?」
 私の顔を覗き込む白衣にマスクの人物。まるで、部屋の一部のように、あまりに空間と溶け込んでいる。
 私は、夢をみていたのか。
 この白衣の人物は?
「私はコーダ」
 そう言うと、白いマスクが口角にグッと持ち上げられた。きっと笑ったのだ。
「体の自由がきかないだろう。じきに馴染なじむよ。意識がね、混濁こんだくしてるんだ。自分が何者か分からないんじゃないかい?」
 確かに。悪い夢でもみていたような気もするが。
「うまく話せないだろう。ここに書いてみなさい。筆談ってやつさ」
 私はペンを受け取ると、震える手で疑問を投げかけた。
 ――私は誰? あなたは誰?
「君はね……、いや、まず私から教えよう。私はコーダ。って、さっき言ったね。といってもコレは名前じゃないんだ。君、楽典に覚えはあるかい?」
 ――いいえ。
「コーダっていうのは楽曲の最後の部分さ。曲の終わりの特別に用意された終結部分のことだ。ここではね、コーダとは、君のような人間の人生を終わらせる役割を担った者たちのことをいう」
 ――終わらせる? なぜ?
「それは、君がしてきた悪逆非道の数々に罰を与えるためだよ、ツダ君」
 ――ツダ? 私は違う。私は、私は一体誰?
「いいや、君はツダ、ツダコウシだ。何人もさらい、犯して、梅毒を感染うつし、生きたまま人体を切り分け、標本に変え、そして殺した」
 ――そんなことをするはずがない。
「ダメだ。罪を認めなければいけない」
 頭が割れるように痛い。涙が流れた。脳が、直接むせび泣くように震える。
 否定をしようにも、指が思うように動かせなかった。ペンが手からこぼれ落ちる。
「その手は、もう使えないな。梅毒に骨まで侵されているんだ。次に目覚めたときには、切り離されているだろうね」
「……しはっ、わった、わたしが……」
 喉から絞り出すように声を出すと、かろうじてそれは音になった。
 私がツダコウシだなんて。夢でみた、あのおぞましい事件を起こしたツダが私?
 コーダは眉根を寄せて、目を細めた。困ったような、悲しんでいるような顔つきになった。そして、息を深く吐いた。
「こんなことを言っても、君は忘れてしまうんだ。だから……、これは私の独り言だと思って聞いてくれればいい」
 ベッドの端にコーダが腰を下ろすと、それに合わせて私の体が軽く沈む。
「自動運転ってあるだろう。車の。あれの研究者が、制御部分に生きた馬の脳を使ったんだ。馬の脳は、自分で判断して道を曲がり、障害物の前でちゃんと止まった。お利口だろう。そして、自分で判断して、ちゃんとその研究者をき殺した。笑えるよな。生物に敬意を払わないと、そういうことになるんだ」
 独り言にしては、語りかける、問いかけるような、そんな話し方だ。
「人工知能の研究が盛んだった時期がある。今もそうだが、もっとこう、自分で考える人工知能さ。それは、人工知〝脳〟と呼ばれている。おっと、君がそうだって話ではないよ。全く関係がないわけではないが」
 喋る度に揺れるコーダの背中を見ていた。
「現在の人工知能は、人の脳の仕組みに着想を得て発展した経緯がある。その過程で、安易な方法で理想の人工知能を作ろうとした研究者がいたんだ」
 揺れていた背中が、ピタリと止まる。
「実際の人間の脳を使うんだ」
 人間の? 誰の?
「献体希望者をつのるとね、実際、たくさん集まるそうだよ。君のように強引な方法ではなく、本人達の希望だ」
 そう自分に言い聞かせているように聞こえる。
 ツダ、お前とは違う、と。
「脳の情報伝達は電気信号で行われる。それを利用するんだ。脳は、曖昧あいまいに事柄を取捨選択するだろう。一方コンピュータは、正確無比に仕事をこなす。それを噛み合わせて、いい塩梅あんばいに出力するんだ。車のトランスミッションに置き換えると、想像しやすい。先の馬の脳を利用した自動運転と相性が良さそうだよな。そうさ、これも元々は車の自動運転の技術さ。この分野は、世界中で覇権を競われている。車ってのはいつだって最新技術が詰まっているんだ。どうだ、これが未来の乗馬の姿さ」
 そんなことが、うまくいくのだろうか。
「当然ね、そんなのは机上きじょうの空論ってやつさ。脳の神経細胞の数はとてつもなく多いし、構造だってよく分かっていない。そもそも人工知能は、その仕組みこそ参考にしたが、脳と情報処理の仕方が根本的に違うんだ」
 コーダは、ガサゴソとポケットをあさり、何かを探す仕草を見せた。
「しかしね、脳の移植に関しては、その技術の進歩に貢献したんだ。実際に行われるのは頭部移植になるがね。何だってアセンブリで交換した方が、心配事も工数も少なく済むだろ」
 やがて、シガレットケースを取り出すと、蓋を開けて中のにおいを嗅いだ。
「頭はたくさん用意するんだ。年齢や相性もあるからね。そして、本来の記憶を消して無地の脳を作る。これは記憶媒体の論理フォーマットに近いかな。記憶する領域や方法のルールを変えただけで、完全に消したわけじゃない」
 何かを思い出せそうだったが、きっかけがつかめなかった。コーダは、そういうことを言っているのだろうか。
「誰だって分かることだが、いくら相性のいい体と頭をつけたところでね、それがきちんと機能するわけがないんだ。だが、今回のような場合に限ってはね……」
 振り返り、私の顔を見る。哀れんでいるような表情に見えた。
「君の脳は、ツダの記憶で上書きしている。『ツダコウシ物語』、傑作だろう。ツダのオリジナルの脳が生きている頃さ。全面的に協力してくれたよ。気味の悪い自分語りをベラベラと。メモリは、オーバーフロー寸前までツダの情報で満たされている。それが君の記憶の全てだ。精神は記憶に補正される。また、体はツダのものだ。……これはもう、君はツダコウシってことになるだろうって、まぁ、そういうことさ」
 シガレットケースからタバコを一本取り出すと、コーダは、それをくわえた。火をつける様子はない。
「出産を機にやめたんだ。でも、これまでかね」
 彼女がベッドから立ち上がると、圧縮されたマットレスが解放され、私の体がゆっくり浮き上がる。
「この瞬間、いつも思うよ。私には、この責務は荷が重いってね。他のコーダは、どうだろうな。好きでやってる奴もいるかもしれないが、気がしれないよ」
 コーダの影が大きくなる。それは、震えてにじんだ。そう見えただけかもしれない。
「ツダの代わりに君がツダとして、犯した過ちと罪の重さを認識した上で罰を受ける……とね。一度の死刑であがないきれる罪じゃないんだ。だから、君は何度も殺されることになる。記憶もそのたびフォーマットをかけられる。もし、目覚めなければ、頭を付け替えて同じことを繰り返すまでだ」
 コーダの顔に表情は、もうなかった。
「その体、つまりツダの体は、今も梅毒が進行している。壊死えしした部位から切り離さなくてはならない。この罰は、その体がなくなるまで続く」
 夢でみた半分の男を思い出す。半分の男とは私のことで、またそれをもてあそぶ男も私なのかもしれない。
「これで終わりだが、また始まりでもある。しかし、君本来の記憶が戻りつつあったな。君は……ツダの代わりに罪を認識しなければならないんだ。次は、もっとしっかりと記憶が消されるだろうね」
 時間が、世界が引き延ばされていく。
 私は逃げることも隠れることもできずに、この瞬間に戦慄せんりつしている。
 走馬燈のように記憶がぐるぐると回る。
 それは身に覚えのない……、いや、このツダの身にしか覚えのない血と肉の記憶だ。
 そのグロテスクなベッドメリーが誘うのは、永遠の眠りだろうか。
 引き延ばされた時が、ゆっくりと動く。なにもかもがスローモーションの世界で、ツダコウシでも何者でもない私は、ただひとつのことを願う。
 これが最後であるように。
「蘇生死刑を執行する」

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