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蘇生死刑 #2/9

 残り、頭・胴体・右肩・右肘・左肩・腰・左大腿部・内臓少々

 夢をみた。嫌な夢だ。
 どんな夢だった?
 思い出せない。とにかく嫌な夢だ。
 天井に、ひとつの白熱灯が吊られている。ぼんやりとした灯りが、夢と現実の境界を曖昧あいまいにする。トロンとまぶたが重くなる。ああ、だめだ、頭を働かせなければいけない。
 ここはどこだ?
 腕が上がらない。動かせない。ベッドかなにかに固定されているようだ。
 誘拐された? なぜ。
 なぜ、私が誘拐されなければいけない。
 私は、私は……、誰だ。
 どうしてこんなところに……。
 深く思い出そうとすると頭が痛くなる。異常な事態だと理解するより先に、心臓の鼓動が早く、大きくなる。
 ドクンドクン。
 心臓の音を耳で聞くことができるほど、部屋は静まりかえっている。他に、おそらく空調の音。
 ゴゴゴゴ。
 それに、……これは、例えるならカブトムシのような昆虫が、ゆっくりゆっくり、手のひらで押し潰されていくような、そんな音が遠くで聞こえるような気もする。
 ペキシュプヂャアァ。
 ああ、カブトムシもなくんだ。

「目を覚ましたかい」
 突然、それは耳元で聞こえた。
 私は飛び起きそうになったが、体が固定されているようで動かない。
 人だ。人間がいる。いつの間に?
 いや、ずっとこの部屋にいたのだ。この部屋と一体化していて、まるで壁のシミのように、気がつくことができなかった。
 白衣にマスクの男。老人のように見えるし、若者といわれれば、そう見えなくもない。
 ――ここはどこだ? それは声にならずに、のどでつかえ、せきになった。
「体の自由がきかないだろう。なに、じきに馴染なじむ」
 そう言うと、白いマスクが口角にグッと持ち上げられた。きっと笑ったのだ。
「意識がね、混濁こんだくしているんだよ。自分が何者か分からないんじゃないかい?」
 意思を伝えようにも声が出なかった。私は、うんうんとうなずき、肯定を示す。どうやら、首は動くらしい。
 その物言い、私への接し方、この男はもしかしたら、話の分かる人間なのではないだろうか。それならば……。私のこの状況、きっとなにかの間違いで、ここに連れてこられたのだ。それを伝えなければ。
 男は目を細める。「君は、なにかの間違いで、ここに連れてこられた、なんて思っているんじゃないだろうか」
 言葉が出ない。もとより声を発することができないが、とにかく言葉が出ない。
「こんなことをしているとね、考えていることは、相手の顔を見るとだいたい分かるんだ」
 そう言って、私の顔をじっと見つめる。穴があいてしまうほどに。
「間違いなんかじゃない。君の名前は……、今の段階ではAと呼んでおこう」
 エー? A?
「Aよ、君に話しておかないといけないことがある。少し長くなるが、しっかり聞きなさい」
 男は、椅子に腰を下ろした。

 某医科大学で、そこに通う学生の好奇心から発覚したことだった。
 ——同一人物の標本が学校内にいくつもある。
 ここでいう標本とは、希釈したホルムアルデヒド水溶液、つまりホルマリンにより防腐処理をされ、アルコールに浸して保存される人体を部位別に分けた液浸標本のことを指す。
 一人の、同じ人間の体から切り離して作られた標本が、いくつもあるというのだ。
 なぜ、その学生は、それらが同一人物の標本かと思ったか。
 皮膚に、赤い発疹がある標本が見つかったことが始まりだった。同じような発疹がある標本が、いくつもあった。あっちにも、こっちにも。
 その発疹は、梅毒によるものだった。
 発見した学生は、興味本位で学内の標本を調べて回った。
 梅毒は、感染からの経過時間や病気の進行度により、第一期から第四期までの、主に四つの段階に分類される。それらのうち、学内には、早期の第一期と第二期、晩期の第三期のそれぞれの症状を有する標本があることが分かった。
 そして病気の進行が、より進んでいる部位ほど、生命を維持するのに重要な役割を果たすものであったそうだ。
 以上のことから、『この人物は、生きたまま部位を切り分けられ、少しずつ標本にされていった』という可能性が浮上してきた。梅毒が第一期から第三期まで進行するのに、数年はかかるからだ。
 ホルマリンにより組織の固定化が行われれば、当然、病気の進行は止まる。しかし、生命の維持に必要な部位は、あえて生きた本体に残されていたため、梅毒の病状は、そのぶん進行していたというのだ。
 つまり、この人物は、梅毒の初期の症状が出始めた頃に、体の末端部分から少しずつ切り離されていき、生かされたまま、梅毒の進行とともに徐々に標本にされていった。
 そしてDNAの鑑定の結果、その学生の見立て通り、これらの標本は、『同一人物のもので間違いない』と判明している。

「ひゅ……、ご」
 口を開き、息を吐き出す。それは、初めて音になった。
「おや、Aよ。素晴らしい。もうすぐ話せるようになるだろう」男は立ち上がる。「どうだ。なにか思い出したかい」
「おぼ……、わだ……ぢ」思い出す? 私に関係のあることなのか。
 男は首を振った。
「そうか。まあ焦ることはない。少し眠りなさい。夢のなかで記憶を整理するといい。赤ん坊がそうするようにね」
 カチリ。
 なにか、スイッチが押されたような音が聞こえた。

 暗い部屋。あまりに暗い。
 小さな白熱灯がひとつ。
 きっと、スプラウトすら育たない。
 男が一人と、半分の男が一人。
 びんの中の液体に浮かぶ臓器。
 それを持つ男が、その瓶に入った臓器を、半分の男の顔の前で左右に揺らす。半分の男の濁った目は、その臓器を追って左右に動いた。
 かつて、半分の男の一部だった大切なもの。
 半分の男の乾いた唇が、かすかに動く。
 縦にパクパク。横にパクパク。
 なにかを伝えようとしている。
 男は、半分の男の口もとに耳を近づけ、その声を聞こうとした。

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