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蘇生死刑 #7/9

 ツダコウシ物語、黄昏たそがれ

 大学を受験する頃になると、私の中で、ある変化が起きていた。それは、ふつふつと湧き上がり、私の心をざわつかせた。
 飾らずに、そのときの気持ちを表現するならば、「セックスがしたい」その一言に尽きる。
 自分の中で、今更こんな感情が生まれるなんて。その原因については全く身に覚えがない。……わけではない。
 さて、寄生菌の中には宿主を乗っ取って、その精神や行動を操るものがあるらしい。にわかには信じがたいが、しかし、その説に寄り添って、私に起こった変化を考えてみると、腑に落ちる部分があるのだ。
 第二の脳とも呼ばれる腸は、人と相利共生にある腸内細菌とは切っても切れない関係性にある。腸内細菌は、その発酵に必要な栄養素を要求するために、一部の脳内物質を作っていることが分かっている。
 そうして人は、あれが食べたい、これが食べたい、と思うようになるという。つまり、甘いチョコレートやカリカリのポテトチップス、ジューシーな唐揚げ、酸っぱいレモン、そしてさっぱりした麺類が無性に食べたくなるのも、自分の意志だと思っていたが、実はそれらを欲しているのは腸内細菌なのだ。
 それはある意味で、腸内細菌が人の精神や行動をコントロールしている例といえなくもない。もちろん、食欲に影響を与えているのは腸内細菌だけではなく、全てはバランスの問題だ。しかし、その一端をになっているどころか、大きな影響を及ぼしているのは事実だ。
 では、私個人に目を向けてみよう。
 叔父から受けた性暴力の末に私に刻まれたものが二つある。他人への嫌悪感とトレポネーマ・パリダムという細菌、つまり梅毒だ。
 梅毒は、性交渉をきっかけとして感染することが多い。私に寄生した梅毒の細菌が、感染を拡大させようと、私にくすぶっていた性欲に火をつけたのではないか、と遅咲きの思春期に理由をつけてみると、辻褄つじつまが合うのだ。
 そのたかぶる感情はとても心地のいいものだった。それがたとえ、梅毒に起因するものであったとしても。また、梅毒が原因である可能性が多少なりともあるなら、それを治療しようとは思えなかった。この火が消えてしまうのが惜しかったのかもしれない。
 それに、人に寄生していないと数時間と生きられない脆弱ぜいじゃくな細菌に操られる、というのも面白いと思った。
 性交渉をするにあたって、相手にありつくためにあらゆる手段を考えた。その中で一番効率が良さそうだったのは、電子掲示板に餌を仕掛けることだった。これは早い話が狩猟であり、罠猟に近い。
 不思議なことに、こういった出会いと実際の罠猟は、よく似ている。獲物のルーティンに溶け込むこと。同じ道を歩んでいると思わせて、実際はこちらが罠に誘導していること。それらがうまくいけば、ワイヤーは、もう獲物の足首に巻き付いている。実際の罠猟と違うのは、彼ら彼女らは野生動物ほど警戒心が強くないということだ。
 解剖台の上に大の字になってから気付いたとしても遅い。そうなれば、相手の同意など必要ない。性別だって関係ない。
 近づく口実は、いくらでも作ることができた。世の中には、命を捨てるタイミングを決めあぐねている人が、たくさんいるからだ。私は、その背中を押すことができるし、死に場所も提供できる。
 死に場所……、それに関しては、おあつらえ向きのロケーションがある。私の叔父が、狩猟肉の解体処理施設として利用していた山小屋だ。
 さて、私は、かつての山小屋で、その主と懐かしの再会を果たしていた。しかし、彼が抱くのは私ではなく、地下室の冷たい鉄の支柱だった。
 叔父は、梅毒をすでに完治させているようだったが、改めてそれを感染させる気は起きなかった。彼は、もう枯れていた。
 性交渉にありつくこととは別に、私には、もう一つ目的があった。それは、コテツとの約束を果たすことだ。
 私は、人体の部位をそのまま利用できる液浸標本の作り方を学んでいた。叔父には、その試作品の第二号になってもらおう。心配しなくても大丈夫。出来栄えはその都度、自身で確認するといい。
 だいぶ待たせてしまった。ナカタニ君。やっと、お友達ができるよ。

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