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「ご飯行きましょうよ」が嬉しくて

少しずつですが、友だちや同僚とご飯に行けるような世の中になってきました。自分から誘うときもあれば、誘ってもらうこともあります。

「ご飯行きましょうよ」

よく聞く言葉ですが、かつての僕には無縁の言葉でした。30歳過ぎまで、職場の同僚と食事に行くことはほとんどありませんでした。大きな理由のひとつが、僕がとんだ勘違い野郎だったからです。

20代後半から”総合演出”という肩書きを任せてもらえた僕は、総合演出とは「自分の思い通りに番組が作れる人」だと思っていました。クソ勘違い野郎です。熱意はあったかもしれあせんが、それと同じ熱量を周囲にも求め、何かうまくいかないと常にイライラして、攻撃的になっていました。ダサすぎます。そんな奴を慕ってくれる人なんているはずがありません。

20代後半、4年間担当した夕方の生ワイド番組を離れるとき、送別会に参加してくれたのは5人だけでした。これがすべてを物語っています。

総合演出というのは、スタッフのキャプテン的存在です。番組の方向性を定め、様々なことを決めていくのは総合演出の仕事です。だからと言って、偉くもなんともないんです。ただのプレーヤーの1人です。

数少ないできることと言えば、多くのスタッフがそれぞれのポテンシャルを発揮して番組のクオリティが上がるように声をかけ、ともに苦悩する…それくらいです。別にテレビ制作に限った話ではないと思いますが。

セットの図面も描けない、カッコいいCGも作れない、テロップも打てないし、カメラの前で喋ることなんて当然できない。ディレクターなんてできないことだらけです。正直、こんなに潰しがきかない職業もあまりないと思います。

各セクションの渾身の仕事を背負って、「出てよかった」「やってよかった」と思ってもらえるように、ひとつの番組に仕上げる。それが総合演出の最後にして最大の仕事です。

30歳を過ぎて、少しずつ考え方や働き方を変えることができました。37歳で大阪から東京へ転勤が決まった時、たくさんの人が送別会を開いてくれました。自分のやり方は間違ってなかったと少し思えました。

僕の仕事の進め方だけが正しいとは思いません。色々なやり方があると思うし、これを読んで「なんやねん偉そうに語りやがって」と思う人もいるかもしれません。

でも少しずつしか変われないけど、少しずつなら変わっていける。そんなことを学んだこの10年でした。おかげさまで、

「ご飯行きましょうよ」

と言ってもらう機会も昔に比べると増えました。まだまだ大人数での食事会は開けないご時世ですが、誘ってもらえたら極力実現したいし、こちらからも誘いたいと思っています。今は、それが自分のやり方のひとつの成果だとも思えるので。

そしてこれは、せっかく激務で痩せたのに、あっという間に体重が戻るだろうな…という自分への長い言い訳でもあります。

中肉中背への道は、険しいです。