M-1との20年と、岩井さんの「M-1グランプリありがとう」

今年のM-1でハライチの敗退が決定した時の岩井さんの言葉。

「M-1グランプリありがとう、楽しかった」

まだまだ激闘が続く生放送中、僕は1人ひっそり泣いてしまいました。もちろん立場は全然違いますが、自分自身の気持ちと重なったのです。


M-1が始まったのは2001年、僕が大学3年生の時でした。その後毎日放送に内定し、学生時代の思い出作りにと2003年のM-1に出場します。その顛末は↓で読んでいただくとして…

テレビマンとして観るM-1は、学生時代とは少し違っていました。出場している芸人さんと仕事をすることがあるかも…と思いながら観るからです。M-1直後の会議の冒頭は、毎年ほぼM-1の話です。

特に毎日放送で年末にある特番『オールザッツ漫才』では、M-1の結果によって出番順を変えたりしていました。番組の冒頭のつかみとしてM-1ファイナリストがネタを披露する…という具合です。

2010年に一度M-1が終わり、新たな賞レースとして『THE MANZAI』が始まりまったころから、僕と賞レースの向き合い方はまた変わりました。一緒にレギュラー番組をやっていたり、よく仕事をする芸人さんがファイナリストになることが増えていったのです。

『THE MANZAI』だけでなく『キングオブコント』、そして復活した『M-1グランプリ』でも、距離の近い芸人さんたちが決勝の舞台に立ちました。面白い芸人さんはたくさんいますが、やはり身近な芸人さんの優勝を願っていました。いちスタッフのエゴではあるものの、出場している以上芸人さんの願いが優勝であるならば、それが叶う瞬間が見たかったのです。

しかし時は流れ、芸歴制限や自主的な卒業で、徐々に身近な芸人さんたちが賞レースに参加することが減ってきました。この10年間、ずっと誰かがファイナリストになり、勝手にドキドキして勝手に落ち込んで…を繰り返してきましたが「もう違うフェーズに入った」と今年はっきり感じていたのでした。

まだまだ出場チャンスが残っている身近な芸人さんはいます。その人たちもめちゃくちゃ面白いです。来年以降、出場するなら全力で応援するし、優勝を願います。

でも「身近な人が出るM-1」という考えを少しずつ減らしていかないといけないな…と思いながら観ていたM-1での、岩井さんのコメントだったのです。

これは別にテレビマンならではの話じゃないと思います。これを読んでくれているお笑いファンの方、特定の好きな芸人さんがいたら同じような経験をしたことある方もいるのではないでしょうか。もしまだ経験したことがないなら、同じようなこともあるかもしれません。

「M-1ありがとう、楽しかった」

これは、勝手に何かをM-1に託してきた僕にも共通する言葉でした。いちお笑いファンとして付け加えるならばこうです。

「これからもよろしくお願いします、M-1」

そしてテレビマンとしては

「いつかM-1とは違う新たな熱狂を生み出したい」

そう強く思った2021年のM-1グランプリでした。