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『推しといつまでも』最終回を終えて

「テレビ番組は、誰かが傷つかないと作れないと思ってます」

かつて後輩に言われた一言です。そんなわけない。ずっとそれを証明したいと思っていました。

4月から始まった番組『推しといつまでも』の放送が終わりました。3月のパイロット版を含めると放送回数は20回。

一緒にやっていたスタッフが「なんか、全20回の特番みたいでしたね…」と漏らしたのに妙に納得してしまいました。

今回は色々あったこの半年間のことを、言える範囲で書こうと思います。

終わる番組の話なので、今回は特に湿気が多くてじめじめしています。梅雨時のあの嫌な感じより鬱陶しい可能性があるので、気分に合わない方はここでご退出ください。

3月、パイロット版の放送

番組が始まるまでの経緯はこちら。

メイン企画は『推しが我が家にやって来る!』。パイロット版の推しゲストはDJ KOOさんでした。企画書の文字面では企画の本質が伝わらないことも多々あるなか「絶対にKOOさんの回で、周囲に理解してもらうんだ」と、スタッフとよくしていました。

放送ではカットしましたが、スタジオゲストだったオズワルド伊藤さんが収録の最後に「これ、とんでもない長寿番組になるんじゃないですか?」と言ってくれた時はとても嬉しかったです。今となっては、その予感を裏切ってしまって申し訳ないのですが。

レギュラーの指原さん、川島さん、有岡さんもとても前のめりで番組に参加してくれていて、この熱はテレビを観ている人にも伝わるはずだ…と感じていました。

KOOさんもロケ終わりにロケバスから降りるとき「神回でしたね!」と言ってくれました。「ありがたいけど、カメラ回ってるときに言ってほしかったなー」と笑いながら見送った記憶があります。

予想通り観てくれた人たちからの反響は大きく、色んな人がこの番組の可能性を感じてくれていました。

4月、レギュラー放送開始

レギュラー放送が始ってからは、まさに怒涛の日々でした。

おもてなし準備の密着期間が5~10日あり、担当ディレクターがその土地に1週間住み込みで撮影し続ける…なんてことも多々ありました。

僕は基本的に初日の決定報告と、最後のおもてなし当日だけロケに参加していたのですが、それでも週に2日はロケなのでスケジュールがパンパンでした。この時期にB'zのツアーがなくてよかったなぁと思います。まぁなんとかして参加してたでしょうが。

おもてなし当日は、毎回グッとくる瞬間がありました。ディレクターが涙ぐみながらカメラを回していたり、おもてなしが終わったあと密着していたADさんが号泣していたり、こちらも心動かされることばかり。

ただ、それを1時間の番組にまとめるのが毎回至難の業でした。現場は数時間ロケをした結果の感動だし、そもそも熱烈に推してきたこれまでの時間の蓄積があってこその感動なので、ただロケをダイジェスト的に短くしただけではその感動が伝わらないのです。

収録前のVTRチェックでは、毎回スタッフでアイデアを出しながら「あーだこーだ×100」を繰り返し、出演してくれた方たちの思いがちゃんと伝わるように、僕らが現場で感じた感動が伝わるように…を繰り返しました。

スタジオ収録では、ゲストの皆さんの「(いい意味で)こんな番組だと思わなかった!」が決まり文句のようになっていきました。嬉しく思う一方で、これは番組を観てもらわないことには、なかなか真意が伝わらないな…と焦りも感じていました。

著名人コラム作戦

なんとか知名度を上げるため、PR部と相談して行ったのが著名人による番組コラムでした。放送前のVTRを観てもらい、それについて自由に感想をつづってもらうという『読む推しといつまでも』企画です。

お願いしたのはラランドニシダさん、一穂ミチさん、ダウ90000蓮見翔さん、吉本ユータヌキさん、紗倉まなさん…と多様な顔ぶれ。いずれも僕が「書く文章が好き」な方たちです。

皆さんのコラムには、毎回ハッとするような表現がありました。

おもてなしの答えに正解も不正解も無く、他人を慎重に、深く思ってしたことは全てが美しい。そして今まで書いた全てのやり取りはずっと喜劇ベースで進んでいく。喜劇の強さと包容力が今回の番組を貫くテーマであるように、わたしには思えた。

ラランドニシダ(ダチョウ俱楽部編)

かつてのミポリンがダイヤモンドなら、今の彼女はこっくりとした黄金色の琥珀。ファンは年月とともに熟成されていくお酒を愉しむように、輝き方を変える「推し」に魅了され、日々の暮らしに活力と彩りを得ることができる。ミポリンとの夢のような一日が、石川さんたちの人生をこれからも長く照らし続けるのだと思うと、何の関係もないわたしまで嬉しくなるのでした。

一穂ミチ(中山美穂編)

ファンが推しと会う時間を楽しんでもらうためにおもてなしを考えて、実際に会う番組。自分は正体を知らないけど実は自分のことがものすごく好きな人に会える。『天国にもしかしたらあるかもしれない機械』みたいな番組だなと思った。

ダウ90000蓮見翔(ハラミちゃん編)

仁美さんは、草刈さんと、最高の出会い方をしたのだ。それだけ魅力的な存在として誰かの胸の中で生き続ける草刈さんと、その魅力をずっと感じ続けて応援できる仁美さんの、どんと構えた二人の強くてあたたかい気が絡まり合う。なんというか、「推す側と推される側」の集大成を見てしまった感じ。

紗倉まな(草刈民代編)
吉本ユータヌキ(槙野智章編)

PRの一環だったとはいえ、これらの言葉は仕事に追われる日々のお守りのような存在でした。珍しいタイプの仕事なので戸惑われたかもしれませんが、改めて感謝申し上げます。

全文読みたい方はこちらへ。

番組終了の決定

それは突然でした。なぜ番組が終わるのか、ここに詳細を書くことはできませんが、とにかく突然でした。

僕自身に対しても、会社に対しても、悔しさや怒り、絶望がありました。今でもまったく小さくならずに胸の真ん中にあります。

自分に対しての絶望…それは、僕のディレクターとしての能力は、あれがフルパワーだったからです。これまで培ってきた僕の中にある「バラエティ能力」「ドキュメント能力」「ハートフル能力」など、主要な能力が軍隊のようにわーっ!と出動していました。『キングダム』でいうところの大将軍がこぞって戦場に出ているイメージです。

「満足できてない人には申し訳ないけど、これ以上はできない」と思いながら番組を仕上げていました。その分、番組終了は自分の能力の限界を知らされたような気持ちになりました。この話をすると、そんなことないよと言ってくれる人もいるのですが、そう思うのだから仕方ありません。

今は傷ついて帰ってきたそれぞれの軍団をいたわり、次の戦に出る作戦を練る時間がいるのかなと思います。

最後の収録

先日、最後の収録が行われました。出演者とスタッフが揃った記念撮影のあと、指原さん・川島さん・有岡さんから挨拶がありました。

放送外のことなのでここに中身は書けませんが、3人の言葉に「これからも番組作りを続けていいのかな…」と、勇気をもらいました。

有岡さんは常に一般の方に寄り添い続けてくれましたし、指原さんは推す側の気持ちを深く理解してくれていました。川島さんは推される側の発見を語ってくれましたし、何よりVTRに映っているもの処理量の多さが驚異的でした。そういう選手権があれば日本一じゃないでしょうか。

お三方と一緒にこの番組ができて幸せでした。

出演者の皆さんが出られたあと、僕も少し喋らせてもらいました。

カメラマンが気を利かせて撮ってくれてました

後日、後輩に「なんだかんだで4,5分喋ってしまったわ」と言うと「いやいや、7,8分は喋ってましたよ!」というので、残っていた収録素材を見返すと、4分40秒でした。後輩は倍くらいに感じていたようです。最悪です。

終わりに…

番組終了が決まって、ネット上にも色々な反応がありました。正直、予想より惜しまれすぎてます。もっと叩いてくれた方がスッキリするのですが、ここまで惜しんでくれる人がいるのに、このままってわけにはいかないな…と、どこまでできるかわかりませんが色々コソコソしています。

「誰も傷つかない番組を作りたい」という願いはどこまで達成されたかわかりませんが、おもてなし当日のロケや収録が終わるたびに「あーこの仕事やっててよかった!」と思っていました。こんな体験ができたことは、きっとこの先の仕事や生き方に響いてくると思います。

B'zの特集ができたことも素晴らしい経験でした。B'z特集に携わった若いADさんが、これをきっかけにファンになってくれた…なんてこともありました。

観てくださった方、関わってくれた方、応援してくれた方、本当にありがとうございました!皆さんが、推しといつまでもいられますように…。

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