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決断は不快であるという深い話

深いって自分で言うのです。
さて個性とは選択の歴史であり快不快の感度の違いだと以前に書きました。
他人が選ばないことを自分は選び、他人が選ぶことを自分は選ばない、その選択の積み重ねが個性であり、なぜ選ぶのか選ばないのかは、それらが快なのか不快なのかの感度が人によって違うからだという主張でした。
また快不快の感度の違いは脳内物質の分泌の違いとも書きました。
快なのか不快なのかを考えることは、ボクには快だから考えるのです。

快不快の違いが、物事を選ばせる。つまり選ぶという決断をさせて、人の個性を形作っている。
この快不快の「快」、決断の「決」の漢字は、意味はずいぶん違うのに形が似ています。

「夬」という字は、コ型にえぐる(抉る)という意味だそうです。
「快」は、心(忄)のしこりをえぐり取った状態を表しているとのことです。心のしこりがないと、心良い=快いのでしょう。
「決」は、水によって堤防がえぐられ切られること・水があふれることを表しています。決壊ですね。そこから転じて、「決定・決める」の意味が生じたようです。
にわかにしっくりしませんが、堤防が「決壊」する→思いっきりがよいさま「決然」「決起」→きっぱり決める「解決」「決断」、という順で意味が転じていったと想像しています。

快と決は、どうやら偶然似てしまったのかもしれませんが、何か不思議な呼応関係があるように思えるのです。
タイトルにも書いていますが、「決断」とは「不快」なことだから、これらの漢字が呼応的・運命的に似てしまったように思えるのです。

決断は不快なのです。
決めることは気持ち悪い。
そして大きな決断ほど、その不快さは増していくようです。
誰もが、どうでもいいことを先にやって、重要なことは後回しにします。
重要なことをやるんだという決断の方が、より不快なのです。

大きな決断は誰もしたくない。
会社勤めをしていると、大きな決断ほど上役に上がって決断を仰がないといけなくなります。
しかし、たいてい誰も決めてくれません。
あれこれ難癖を付けて差し戻されます。
大きな決断はなるべくしたくないのでしょう。

大きな決断のはずでも、そのハードルが下がれば決断しやすくなるはずです。
「何だか〜行けそうな気がする〜」と思わせれば、決めてもらえるでしょう。
なるべく大丈夫だと思わせるデータをせっせと集めることが仕事の大部分だったような気がします。

モチベーションを上げるということは、決断のハードルを下げるということなのかもしれません。
なぜこんな茨の道を行く決断をしなければならないか、そんな不快な決断を取り除かせてくれる言葉、目標設定があれば、前へ進む決断をいちいちしなくて済むのです。

不快な決断などしなくていいのだ、とわかれば逆に気持ち良くなれます。
決断の不快さから解放されることは気持ちが良い。
オレたちは世界一になるんだ!
尋常じゃないプレッシャーのなかでも、ミスを恐れず最大限のパフォーマンスをするんだ!
アメリカを倒すんだ!さあ行くぞ!おおー!
めっちゃ気持ち良さそうです。

さて小さなことでも大きなことでも小気味よくパシパシ決めていくと、女性にモテることが年齢を重ねるとともにわかってきました(もっともっと早く気付くんだった)。
何でも決められる人物であることは、不快や困難に立ち向かえるので信頼と好感が持てるのでしょう。(モテるの語源か?!)
女性に自由に決めさせるのが優しさだと思っていたけど違っていました。
もちろん「上手に」決めてあげなければいけませんが。

もちろん、決断より行動が大事です。
ただ行動する前には、行動をするという決断をしないといけません。
多くの人はその決断ができない。
行動ができないんじゃない。ただ決められないんだ。

「考える」ということは、頭に浮かんだことの中から選び取る、つまりは「決める」ことと同義と言えそうです。
なので考えることも不快なはずです。
人は考えたくない。
考えなくて済むなら、そちらのほうが気持ち良い。

脳は最大のエネルギー消費器官です。
考えてばかりいると、エネルギーを消耗してしまう。
なるべくなら考えなくて済むようにしたい。
考えなくて済むよう、いろいろ考えて、さまざまな法則性を発見したりした。
法則があれば、それ以降は考えなくて済む。なので法則は気持ち良い。
(以前このあたりを書いたのですが、どの記事だったか忘れました)
そしてもっと考えなくて済むよう、AIなんかも捻り出しました。

ホントかどうか定かでないのですが、人類の脳はここ数万年で小さくなり始めてるそうです。
頭が大きくなりすぎて出産時のリスクが高まり、頭を小さくする進化論的圧力(頭が大きいと生き残りにくい)がかかっているという説明を読んだことがあるのですが、必要とする脳の量も小さくしようとしているのかもしれません。
割に合わない危険な器官になりつつあるので、小さくしようとしている。
考えなくていいようにしている。
つまり考えないバカになっていく。

人類がバカばっかりになると、大きな決断を要する破滅的なボタンを深く考えずに押してしまう輩も出てくるだろうな。
まだ人類がマシな間に、そんなことにならないよう考えておかないとね。
え。もう遅いって?

うーむ。ありきたりなオチになってしまった。
不快に立ち向かわず深く考えなかったからだな。それではまた。

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