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ピラミッドの呪縛、マンダラの解放

より多く経済的な負担を負う者の方が発言権がある。
有り体に言えば、お金をたくさん出した方がエライ。
それは当たり前なのか。

最近そんなことをよく考えています。
なぜ考えるようになったかを詳らかにすると、少し露出度の高い話になってしまい、穏やかに読めないと思います。そのへんは割愛しましょう。

とにかく「お金をたくさん出した方がエライ」。
となると「お金を出すポテンシャルが高い方がエライ」=「稼いでいる方がエライ」とも言えます。
そして「稼いでいると一人前」「稼いでいないと半人前」から「働いていないと半人前」になってしまうでしょう。
この辺りにこじらせている人が多い印象です。
しかしこれらのことは当たり前のことなのか。本当に当然なのだろうか。

イスラム教には、持てる者は持たざる者へ施すのが当たり前という考え方があります。
裏を返して突き詰めれば、持たざる者が持てる者に依存することは恥ずべきことではないということです。
つまり持とうが持つまいが稼ごうが稼ぐまいが、人はみな平等なのです。

またアジアの多くの地域では、誰かが成功を収めると、その親類縁者がよってたかって分け前にあずかろうとします。仕事を辞めて、その成功者の家に転がり込んで臆面もなく養ってもらおうとしたりするのです。まさしく、タカるのです。
そしてそれは当たり前で恥ずべきことではなかったりします。
大の大人が例えば甥っ子に養われていても気にしないようなのです。

となると、先ほど問題提起した「稼いでいるとエライ」は特定の(我々側の)社会の通念とも言えます。
決して絶対的なものではない。

しかし言い方は悪いけど、先のような考え方がある国は経済的に負け組ばかりでしょう。
強い資本主義が育たない。
なぜなら持たざる者が努力して這い上がらなくても恥ではないので、誰も努力しなくなるからです。つまりボトムアップが生まれません。経済に底力がない。

また裏を返せば、稼がないと一人前にはなれないという考えを根付かせないと、社会は経済的に強くなれないということです。
そしてまたまた裏を返せば、経済的に強くなろうとする社会(資本主義)は、「稼ぐ者はエライ」という考え方を要求するとも言えるでしょう。

さて「なぜ働くのか問題」(まだ引きずっていた!)を考える上で厄介なのが、この「稼ぐ者はエライ」「たくさん稼ぐ方がもっとエラい」「働いていないとエラくない」という価値観があることだと感じています。
経済的な優位性が人間の上下と混同されてしまい、思考が停滞してしまうのです。

要するに、働かないと一人前と見做されない社会において「なぜ働くか」の問いは、愚問になってしまいがちと言いたいのでした。
その価値観を切り離さないと哲学の世界には行けません。
おお。哲学の世界。

さて前回と前々回の記事で「自己実現のために働く」について、以下のピラミッドの例を出して説明はしませんでした。

今回ようやくそこへ切り込むとお思いでしょうけど、またもや切り込むつもりはありません。哲学という言葉を持ち出してきて上段に振りかぶりましたが。

ボクが気になっているのは、こんな三角形やピラミッドが世の中多すぎるということなのです。
少し調べると、戦略のピラミッド、資本のピラミッド、所得のピラミッド、ビジネススキル、情報収集、ロジカルシンキング、自分力、成長、リーダーシップ、たくさんありました。
何やらニンニクを頂点とする食材のピラミッドもありました。
みんなピラミッドが大好きなのです。
何かを三角に積み上げたいのです。
序列を作ってどんどん積み上げたいのです。
会社組織もピラミッドです。平社員が底辺で、頂点に社長がいます。
Jリーグもそうです。確か7段階以上あります。
非モテの三軍、モテる一軍というスクールカーストもピラミッドです。
底辺があって頂点がある。
三角形は安定しているから作りたくなるのでしょう。
そしてそれは上昇志向を自然と促します。

底辺から頂点へ、半人前から一人前へ、出世する、エラくなる、這い上がる、ボトムアップ、底力。上を目指せ目指すのだ。社長を目指せJ1を目指せニンニクを目指すのだと。
底辺から上を目指すことを当たり前としています。
それは強くなろうとする社会の要求、もしくは陰謀なのかもしれません。

上掲Wikipediaのマズローの欲求段階説を眺めていて感じました。
生理的欲求がはたして底辺なのか。自己実現の欲求のほうが頂点なのか。
これらの上下、優劣はあるのか。
下から上へ上がることや下が上を支えていることが至極当たり前なことなのか。

どうもボクたちは、このような上下、高低、多寡、強弱、優劣という考え方に縛られているような気がしてなりません。
それはもうピラミッドの呪縛なのかもしれません。
おお。ピラミッドの呪縛。

もっと並列というか、上下関係がない方が楽でいいのにと思ってしまいます。
生理的欲求も自己実現欲求も等しい関係にあっていいのではないかと。
お腹を満たすことも、自分らしさを追求することも同じでいいじゃないかと。

ピラミッドより曼荼羅ですね。
上も下もなくて、大切なものが近くにある感じです。
そんなマンダラで行こうよ、マンダラで解放されようよという話でした。
おお。マンダラの解放。

有り体に言うと「お金をたくさん出したからってエラそうにするなよな」っていう話でもありました。
ね。詳しくは露出度が高そうで穏やかじゃないでしょ。

でもなあ。
持てる者にはならなくていいけど、やっぱりモテたいよなあ。
モテる者にはなりたいなあ。
もう57にもなって何を言ってんだか。それではまた。

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