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サービスと品性と差別について(ギャルソン!)

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 こっちは客だぞ、客の方が偉いんだぞ、だから多少の無理は言っても良いのだ、と考えている人は少なくありません。そういう人に限って、普段は逆の立場で「客」から苦しめられているのではないでしょうか。

 本来、客と売る側は、モノやサービスに対して相応の対価を交換し合うだけなので、対等な関係です。客が何をしても良いはずがありません。
 歌手の三波春夫さんが、歌う前に「お客様は神様です」と必ず言うフレーズが、曲解されてしまって、客は神様のように偉いのだという考え方が広まったという説があります。ボクは、変に広めたのはレッツゴー三匹だったと思っています。若い人は知りませんか。
 ちなみに、三波春夫さんが「お客様は神様です」と言った本来の意図は、神様の前で歌うかのように、真剣に歌いますという意味だったそうです。

 原因はともかく、客=神のように偉い=客のワガママは許されて当然、という考え方が、過剰なサービスを要求することになり、延いては労働生産性を下げてしまったのかもしれないと考えました。
 そう言えば労働生産性については別に書いています。日本人は労働を修行と捉えている側面があるという内容でした。(ボクのサピエンス全史;第五章「労働を通じて悟りを開こう、生産性など邪念だ」など)

「お客様は神様です」という言葉をネットで検索すると、この言葉によって過剰なサービスを招いた等の記事が存在していました。なのでこのような内容でこの記事が終われば、全くオリジナリティに欠けます。オリジナリティを追求しているボクとしては不本意です。もう少し深く掘りましょう。

 構造的に、サービスする側は階級的に低い側になります。お金を支払う側は、お金を持っている側なので、階級的には高くなってしまうのが普通です。"階級"が高くなればなるほど(=お金を持てば持つほど)、直接的にサービスをする側に回ることが減ります。どうしてもサービスをする、サービスをされるという背景には階級構造が見え隠れしてしまいます。
 サービスという語源に、下僕・奴隷(servant)があるとのことで、歴史的にも仕方がない側面があります。

 どうしても、客=階級が高い、階級が高い=人間的に偉いという勘違いが生まれる、という構造からは逃れることは不可能です。そこに差別意識も入り込みます。

 ならばどうすれば良いのか。
 階級を超越する価値観を持ってくるべきでしょう。
「品性」でしょうね。「品位」「品格」「高潔」「威厳」など、階級の高い側=サービスを受ける側がそれ相応の品性を保つ、高い品格を持つ、高潔でいる、それが大事だという価値観を持つべきなのでしょう。できればそのような姿勢や雰囲気を自然と醸し出すべきなのでしょう。
 もちろん、お金を払う側だから少々のワガママを言っても構わない、という発想は品性に欠けることである、下品だという共通認識を持つべきです。

 さて、30年以上前に観た映画で「ギャルソン!」というフランス映画の話をします。イヴ・モンタン主演の、めちゃめちゃ渋い大人の映画です。たまに映画の話を書きますが、いつも古いうえに、今回は超マイナー映画です。誰が知っているのだ?

 ギャルソンとはレストランの給仕です。ウェイターと訳せますが、それでは職業の重みとして軽いです。ギャルソンは料理やワインの知識が豊富で、注文時の客の質問や要望に的確にこたえます。客の食べるスピードと厨房の状況に合わせて、次の料理を出すタイミングを厨房に伝え、適切なタイミングで空いた皿を片付けたりします。
 もちろん同時に複数のテーブルを担当しながら、店全体の雰囲気までも気を配るのです。そんな技術を持っているのがギャルソンなのです。この映画は、あるレストランのギャルソンたちの働きぶりと何気ない日常や恋愛などを描いています。

 そのギャルソン同僚たち数人が、別のレストランへ行って食事をするシーンがとても印象的でした。いつもはサービスする側の人たちがサービスされる側となるのです。お互いが品良く振る舞う姿が実に美しかったです。
 その中で、それぞれのギャルソンたちの、サービスをする姿とサービスされる姿の一瞬だけを切り取るシーンがありました。それは一枚の絵画のようでした。上質なサービスをする姿と、それを敬意を持って受け止めている姿は、神々しいほどでした。
 ああ、この映画はこの瞬間のためだけにあるのだ、監督はこれを表現したかったのだと思わせる、とても良いシーンでした。サービスの授受に「品」が加わると、実に美しく、気持ち良いものなのです。

 フランス人はなかなか不思議な人たちです。お高くとまって他の民族を見下げている部分もあれば、以上のような品性を備えていたりします。
 一方で我々日本人はサービスを受けるに相応しい品性を持っていないのでしょう。サービスに対して敬意を払うことを知らないのです。茶道の精神があるのに。茶道はよく知りませんが。

 数年前にフランスのサッカー選手の日本人蔑視動画が問題になりました。日本人は品性を備えていないと、フランス人は無意識的に感じているのかもしれません。

 ま。フランス人、特にパリ人はいつも「お高く」とまっていて、他の国の人たちを低く見てしまう民族なのだと理解しましょう。お高く止まるのが彼らの日常なので、それを道徳的に悪いと感じることは彼らには困難なのです。サッカー選手個人の問題じゃないのです。

 いちいち目くじら立てる方が「下品」ですね。そんなことより我々の品性を磨きましょう。お客様は神様じゃない。神様に失礼だ。サービスを受けたら「ありがとう」と言いましょう。それではまた。

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