呼びかけよう名前を 植物の名前を
たまには面倒くさくないのを。
いや、面倒くさいのがたまになってきたか。
さて約30年ぶりに生家で暮らすようになって4ヶ月ほどになります。
いろいろと片付けたり、ゴミを捨てたりでかなりスッキリしてきました。
しかしなかなか終わらないのが「庭」です。
というか、ずっと終わらないでしょう。
「庭」というものは永遠にスッキリすることはないかも。
なぜなら植物が生きているからです。
やつらは枯葉や枝を落とし、不揃いに伸び、虫を引き寄せ、雑草(雑木?)を生やします。
(雑草という名前の植物は無いそうだけど)
そして厄介なことに、ちょくちょく水をあげないといけない。
(水道代がマンション時代の3倍になっちまったよ)
雨が降ったかどうか、雨が降りそうかどうか気にするようになりました。
(水を撒いた後に夕立がくると人生が嫌になります)
写真には撮らなかったけど、他に、ヒバ、ドクダミ、ササなどがあります。あまり情緒がなかったので撮る気になれず。
昔は桜、桃、梅があった。
梅、桜、桃の順で花が咲いていた。
桜はこの辺りでは一番立派に花を咲かせていて、鼻高々でした。
毛虫がものすごく発生するけど。
その毛虫(まず毛虫のカタマリ袋ができる)を農薬は使わずに長い松明で丹念に焼き殺したことがあり、すると次の年の花はとてつもなく絢爛になったことがあった。それはそれはギンギンビカビカでした。無農薬で葉が喰われなかったからか、めちゃめちゃ元気になったのだ。多くの人が家の前で立ち止まっていた。
桃は3年ではなく7年くらいで実をつけるようになったけど、いつも鳥やカナブンなどの餌食となって食べることはなかったと思う。
後半は単に思い出を書き綴っているだけになってしまった。
しかしこの記事の言いたいことは、もうタイトルでバレバレでしたね。
そう、植物の名前を知ることが大切なんだと。
名前を知って特性もわかれば愛着がわき、庭が重荷になることはないだろう。
名前と性格がわかれば付き合いやすいということだ。
何だか人間と同じだ。
いや、甘いか。
一部の植物を情緒がないなどと差別しているかぎり荷は軽くならないだろう。
好き嫌いしているとギスギスするからなあ。
それも人間と同じだ。
安易に「人間と同じ」でまとめて、何かを表現・主張したつもりで終わらせていいのか。
ま。これはこれで面倒くさくなくスッキリするでしょう。とにかく何もかもスッキリしたかったからね。それではまた。
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