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落ち着け少女よ とかくエココレは難しい

ある日本人が中国で遊覧船に乗ったときのこと。
他の客を見ていると、彼らはゴミをポイポイと海へ捨てていたそうです。
あーあ、なんなんだこいつらは、と思いながら自分のゴミを捨てようとゴミ箱を探すと、デッキにビンカンと燃えるゴミに分別されたゴミ箱を見つけたのですが、中を見ると分別はめちゃくちゃだったそうです。その人は、今さら無意味とわかりつつ、持っていたゴミを正しく分別して捨てたそうです。

しばらくして、船の乗組員がやってきたと思ったら、やおらそのゴミ箱を運んでいって、その中身を全部海へバサバサーっと捨ててしまったのだそうです。
又聞きの話なので、正確ではないかもしれません。こんな光景に出くわすと、ほとんどの日本人はショックを受けるでしょう。聞いてもショッキングです。

これは中国に限らず、多くの国で同じようなことが行われていると容易に想像できます。多くの国で多くの人たちが川や海へゴミを投棄していることでしょう。
日本では、やれエコバッグだ、やれプラスチック袋の有料化だと騒いでいるのに、実に象徴的なエピソードです。

たぶん彼らは悪くないのです。ただ現在の環境的に正しいとされている知識を知らないだけです。
エコロジカル・コレクトネスを知らないのです。
そんな環境的な正しさという概念の存在自体を知らないのでしょう。
つい数十年前は、日本でも誰もが工場排液を川や海へ垂れ流し、排ガスや排煙を何も処理せず大気に放出していました。
当時の日本人は、それらのことが良くないこととは知りませんでした。単に無知だっただけです。

環境問題は、まず正しい知識と想像力が必要です。
何にどんな害があるかの正確な知識と、それがどこの誰にまで害を及ぼすのかの想像力、つまり時間と空間を越える想像力が必要なのです。
モラルはその次の段階で、一部のマイナーな輩のためのものでしょう。
めんどうじゃん、ゴミ箱無いじゃん、持ち帰れって言うの、って言っているメジャーな輩は、正しい知識を教えてもらわず、想像を巡らすトレーニングを積んでこなかったのです。

正しい知識と想像力なんて、とても難しい。
まず今ある知識・常識が正しいのかどうかも難しい。
二酸化炭素が本当に悪なのか、ダイオキシンや環境ホルモンはどうなのか、実はまだまだ決着がついていません。
何が正しいのか分からないと、信じたい知識、信じたくない知識、信じさせたい知識、信じさせたくない知識が交錯して厄介なことになります。環境癒着ビジネスや環境テロリストやイカれた北欧少女や無意味な法律が跋扈するのです。

想像力はもっと難しいです。
今の行為が、未来の海の先の誰にどんな影響を及ぼすかなんて、今と現在地で必死になっている人たちには考えが及びにくいはずです。

いちおう環境のプロの端くれの末端に居続けて30年以上のキャリアがございます。流れはだいたい存じ上げております。なぜ突然丁寧に。
何が正しいかわからない、この混沌とした状況も徐々に収束に向かう感触があります。5〜10年でピークアウトして、ゆっくりと整理される方向になるでしょう。30年先はかなりマシな世界になっていると思います。

なので少女よ。少しは落ち着け。
温暖化が進んで、もう手遅れになっているって?
実は寒冷化しつつあって、もっともっと二酸化炭素を排出しておくんだったと後悔してたりして。

と、今は閉めたブログに2年前に書いたのが以上でした。
しかし最近は、いろいろあったので、また悲観的になっているかも。
思った以上に人類は賢くない気がして。
自分だけが賢いという立場でモノを言ってます。
ふむ。
自分だけが賢くて正しいと思っている人間だけで構成されているのが人類なのかもなあ。環境にせよ平和にせよ。
なんだかイッパシなことを書いた風で退散しよう。それではまた。

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