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「安心してください。 穿いてますよ 」を、とにかく明るく暗く掘ってみますよ

パンツについて一家言ある(パンツの穿き方がわからなくなったら)ボクとしては、是非取りあげなくてはと思っていたのですが、話がまとまらず放置していました。
しかしうかうかしていると話題の鮮度が落ちてしまうので、とにかく取り急ぎ記事にしてみたいと思います。まとまってないので4章だてになりました。

言語的側面

ネタの決めゼリフ、「ドントウォーリイ(安心してください)。アイム ウェアリング(穿いてますよ)」と言ったあとに、審査員たちが「Pants!」と返し、これが思わぬコールアンドレスポンスになって、盛り上がりました。
ああなるほど、「wear」は他動詞なので目的語を伴わないと不自然なんだ、だから英語ネイティブは思わず「Pants!」を付け足したくなるんだ、と英語がそれほど得意でもないボクでも思いました。
調べると、英語クラスターの方たちがこぞって他動詞云々の解説をされていました。

このコールアンドレスポンスを意図的に企んだのか、無知による偶然なのかは議論が分かれるところのようです。
ボクは非意図的ではあるものの、偶然のラッキーパンチではなく、安村さんのお笑いセンスが根底にあったからウケたと思っています。

この裸のなんとも下らないネタが彼の代表ネタなのですが(少し損をしているかも)、実は彼のお笑いセンスはかなり高いと思っています。偏差値68くらいはあるでしょう。
「有吉の壁」などでも実にクオリティの高いコントや大喜利を見せてくれています。

最初の導入部分で、I’m wearing pants. But I can pose naked. と pants を付けて言ってます。pants は付けなくてはならないことを知っている(教えてもらっている)のです。
しかし決めゼリフでは、pants を省いています。そっちの方がベターとお笑い芸人の感覚として判断したと思っています。

「Don't worry. I'm wearing 」は実にリズムが良いです。細かな韻が踏めています。
パンツを付けないと英語的には不自然ですが、付けない方がリズムが崩れず笑いが取れるとの直感だったと思うのです。

「安心してください」の英訳は、いくらでも考えられます。
It's OK、 It's all right、 No Problem、 Not need to---、 などなど数多ある中からの、Don't worry でした。
そこからの、現在形 I wear でも良いところを、あえて現在進行形 I'm wearing としました。
worry ときて、wearing ですから、w-ri で韻が踏めています。
さらに、Don't のnと I'm のmは同じ鼻音、つまり鼻から抜ける音で同系列の音です。ここにも韻があるのです。そして最後の (weari)ngも同じ鼻音ですから、さらに良いリズムを作っています。
それらしく強調すると「ドィ。アィェァ」ですね。まるで漢詩の押韻のようです。ほとんど五言絶句です。
このような小気味良い音のリズムを繰り返すと安心感と好感度を生み、笑いが起こりやすいのです。ザイオンス効果というらしいです。
これらのチョイスが絶妙でした。

コールアンドレスポンスは非意図的ではあったものの、無知による偶然ではなく、芸人としての言語感覚があるからこそ必然的に沸き起こったと考えています。
ボクはお笑いセンスの大部分は言葉に敏感かどうかだと思っていますので、このような説をとにかく推す次第です。

文化的側面

Pants!
と審査員たちが叫んでいるのを見て、あれっと思いました。
たしか、英語でパンツは、日本ではいわゆるズボンなのに。
と思っていると、(サッカーではなく)フットボール、競馬の騎手、ジェームスボンド、スパイスガール、というネタの並びがイギリスターゲットなので気づきました。これはイギリスの番組なんだと。
そして、ここでのパンツはイギリス英語なのだと。

調べると、いわゆるパンツは、アメリカでは underwear です。
アイム ウエアリング、、、Underwear!
ちょっとしまらないかな。

それにあのようなバカバカしくも下品なネタはイギリス人好みです。
モンティパイソン、ミスタービーンに通じるものがあります。
裸と言えば、フルモンティというシュールな男性ストリップ映画もイギリスでした。

アメリカの笑いは言葉で考えさせるスタンダップ系が多いし、アメリカ人は意外に保守的なので裸ネタに対しては許容できないはずです。こんなネタはアメリカでは不安と不快感を抱かせるだけでウケないでしょう。
イギリスを選んでとにかく正解でした。

日本人論的側面

さあそろそろボクらしく、メンドくさい話になっていきます。
日本人はなぜ日本人となったのか、そのオリジナル仮説についてたまに記事にしています。
もっともスキ数が少なく、コメントもほとんど貰えない不人気シリーズです。
いちいちリンクは貼りません。

その仮説とは、日本人を日本人たらしめたのは、稲作農耕文化などではなく、日本列島が長らく鬱蒼とした暗い森で覆われていたことが原因だというものです。
森が開墾され始めたのはせいぜい二千年前で、それまで数万年は冬でも深い森でした。
深い森は見通しが悪く、人が近づいてきても察知できません。
その人物が悪意を持っていたら、戦うか逃げるなどをしなければなりません。なので、常に不安を覚える臆病さ、準備を怠らない几帳面さなどが発達して日本人なるものが形成されたと考えました。

そして言葉も、なるべく近くの者だけに伝わるように発達したと考えました。
木の陰で潜んでいるかもしれない人物に聞かれないように。
なので、小さい声でも通じるように、日本語は聞き分けやすい少ない母音だけで構成されるようになりました。アはアで1種類だけです。英語や中国語のように何種類もアがありません。
聞き取りにくい連続子音なども日本語に見当たらないのは理にかなっていると言えます。

そして今回新たに、主語や目的語までも省略して伝わるように発達してきたのだと考えるに至りました。いろいろ省略しても、何とかコミュニケーションできる能力を身に付けたのです。
もうここまで来ると日本語の特徴というより、日本人だから省略できるとも考えられます。

日本人だから主語や目的語が省略できるのです。
日本人だから省略してしまうのです。それで通じると思うから。
日本語だからではなく。
アイム ウエアリングだって長すぎるのです。
日本人向けの英語ネタにするとすれば、
ウエアリング! でもとにかく違和感なく通じるでしょう。

無人島に日本人だけの英語コミュニティを作って、何世代か経過したら、主語や目的語が消えてたりして。
言語の特徴はその言語を操る民族の能力や特性が決めるのかもしれない。
大丈夫かな。こんな大袈裟なことを言ってて。
ま、どうせボクなんかの駄文は多くの人に読まれないことだろうから、ひとまず安心かな。

極私的側面

「何を?」
晩年の父は聞き取れなかったときに必ずこう聞いた。

「施設に行ってきた。オカン、元気にしてたで」
などと言った場合でも、
「何を?」
と聞き返すのだ。
何をやあらへんがな。

八十を越えて目と足が不自由になり、一人暮らしの父が心配なって、週2回は家に訪れて話し相手になっていたのだ。
もっぱら父にも施設に入るよう説得していたのだけど。
あの頃は、もしかしたらボクの人生で最も多く父と会話をしていた時期だったかもしれない。

父の頭はしっかりしていたので、聞き返す時は単に聞き取れなかっただけのはずだ。
そんな時は「何やて?」と聞き返すのが普通なのに、なぜかいつも「何を?」だった。「何をどうした」という文脈で話しかけていなくても、そう聞き返してきた。

「庭、ボーボーやんか」
「何を?」
「犬、えらい肥えたな」
「何を?」
「阪神、ボロ負けやったな」
「何を?」

「何を」というのは目的語だ。
父はボクの何らかの目的を知りたかったのか。
死期が近づき、我が子は人生の目的を持っているかと心配していたのか。
当時でもボクは五十を越えた大人だったので、今さら人生の目的でもあるまいが。
いつまでもボクは、父にとっての子どもだったのか。

あるいは自分自身の人生を振り返り、目的に思うところがあったのか。

今となっては何もわからない。
なので遺影に向かってとにかくこう言うしかないのだ。
「安心しいや。みんな元気にしてるし」
しかし父は言うだろう。
「何を?」と。

とにかく明るいネタから、とにかく暗い話になりましたとさ。それではまた。

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