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嫌よ嫌よ嫌よ嫌よ嫌よ嫌よ嫌よも好きのうち

タイトルをしばらく見つめた後、この一行目を読もうとすると字が薄く見えませんか。
そう見えたら、それは補色現象ってやつですね。
黒っぽい部分を見つめると、次に見るものは白っぽく見えます。
青を見つめると黄色に、赤を見つめると緑に見えます。
脳に騙されているのです。
脳ってやつは、いつも騙そうとする。

さて、人には食べ物の好き嫌いがあります。
ある種の食べ物が嫌いということは、その人はそれを食べて不味く感じているはずです。
不味いと感じるということは、脳が不快に感じている、つまりこれを食べると命の危険があるというサインとも言えます。ハイ。快不快シリーズです。

「いや、絶対に美味しいから、一度食べてみて」
と誰かを説得して食べさせて、美味しいと感じてもらえたこと、好き嫌いが治った事例は皆無じゃないでしょうか。
というか「一度食べてみて」と説得しても、断固拒否され、食べさせること自体が困難なのです。
食べさせられる本人は、食べても絶対に不味いはずだから嫌な思いをするだけだと心底信じています。
とにかく絶対に美味しいか絶対に不味いかは、絶対に絶対的なものではなく、脳が絶対に快に感じるか絶対に不快に感じるかそれぞれの判断の違いという、絶対に相対的なものなのです。
今、文章に不要な「絶対に」を各所に入れたからか、絶対に、いや相対的にわかりにくくしてしまいました。

とにかく脳が、その食べ物を不快に感じる=命の危険という判断をしてしまっているなら、それを覆すのは不可能でしょう。
「一度食べてみて」という説得は徒労に終わるから、やらないほうが良いのです。
本当にやらないほうが良い。不毛です。
大家族の農家に生まれ、好き嫌いなどそもそも許されない家で育ったボクにとって、妻と暮らし始めた頃の、、、
いや、やめておきます。なんだか寒気がしました。

さて、それでも「嫌い」を治す方法があると聞いたことがあります。

それは「何とかして7回〜15回食べさせれば嫌いではなくなる」のだそうです。

ん?
一度ですら食べさせることは不可能に近いのに、それを少なくとも7回もなんて。

球速160キロのボールを打てるようになるには、160キロのボールを7回打てばいいのだよ、と言っているのと同じです。
しかしそんな矛盾は無視して、話を強引に前へ進めます。
少々強引な方が良いこともあるのです。たいがい強引はうまくのです。嫌よ嫌よもナントカなのです。むふふふふ。なんだかいやらしいぞ。

おそらく、7回も食べて命に別状はなかったから、この味は大丈夫なのだと脳は判断するのでしょう。
死ぬような事態にはならなかったから、警戒警報(不味いセンサー)を解除したのです。

子どもの頃は食べられなかった物が、いつの間にか食べられるなったという経験はどう考えればいいのでしょう。
おそらく似たような味をいろいろ食べた経験と記憶が積み重なって、不味いセンサーが知らない間に解除されていったと考えられます。
あと、どんな食物も品種改良が進みますから、味も変化していることも関係しているでしょう。

とにかく前回の記事「カレー15年戦争」で、徐々にカレーの辛い味に慣れさせていったのは、脳の不快の感度、脳のストッパーの位置を長い時間をかけて変えていったということを言いたかったのです。
それを気付かれないようにしたのが「インデアンのふんどし」作戦だったのです。
違います。「だるまさんが転んだ」作戦だったのです。
いつもは騙そうとする脳を、逆に騙してやればいいのだということなのです。

今回は前回の解説回となりました。
前回は脱線が多くて長くなりすぎたので、解説を別の記事にしたということでした。
今回の脱線は少なめでしたね。そうでもない?

しかししかし、この快不快の好き嫌いシリーズ、まだまだ続くのです。
何と次回は、新たな敵が出現するのです。
さあ、新たな敵とは?
乞うご期待!
って誰も期待してないか。
もう飽き飽きですかね。
飽き飽きも7回続ければ、やみつきになるかも。
飽き飽き飽き飽きもナントカなのです。それではまた。

新たな敵が出現する次回だ!


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