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リズム! リズム! リズム!

ミュージシャンには憧れる。カッコいい。なれるものならなりたい。
小学生くらいの時はプロ野球選手に憧れたけど、中学以降はずっとミュージシャンに憧れていた。57にもなった今でもまだそんな思いがうっすらある。

しかしボクには音楽の才能がまったくない。
それはもう悲劇的にない。
悲劇的とは比喩ではなく、楽器を演奏すると実際に悲しくなるという意味で音楽の才能が悲劇的にないのだ。

音楽の才能はよく「音感」、つまり音の高低を聞き分ける耳の良さと思われがちだけど違うと思う。
「音感」は鍛えれば身に付くと思っている。語学と同じだ。鍛えればいつかは聞き取れるはずだ。後天的に身に付くのならそれは才能とは言えない。
それにボーカルでもない限り楽器演奏に「音感」はそれほど必要がないはずだ。
本当に重要なのは「リズム感」だ。
そしておそらくそれは後天的に身に付けることはできない。
語学と違って、運動神経が後天的にどうにもならないことと同じように。

「リズム感」には2つの側面があると思う。
ひとつは、正確なリズムかどうかを感じ取る能力。
そしてもうひとつは、正確なリズムを身体が刻むことができるかどうかの能力。
つまりセンサーとアクチュエーターだ。
うーん、なじみないか。検出器と駆動装置かな。

おそらくボクは正確なリズムを感じる能力は人並みか、もしかしたら人並み以上あるのかもしれない。
しかし正確なリズムを刻む能力が圧倒的に欠けていた。
この、リズムは感じ取れるがリズムを刻めないという組み合わせが実は悲劇的となってしまった。

高校生の頃に1年くらいギターの練習をして、さっぱり上手にならなかった時は自覚がなかったのだけど、25歳になって何を思ったのかドラムの練習をし始めて痛感した。それはもう打ちひしがれた。まるでダメダメだった。
もう早々に3拍目で落胆が始まる。
何だそのリズムは。ひどい。音楽じゃない。乗れない。
ボクの正確なリズムを感じ取る能力が、毎回リズムを刻むたびに教えてくれるのだ。才能が無い、下手くそ、才能が無い、下手くそ。叩けば叩くほど悲しくなっていった。

そう言えばコンサートで手拍子を叩いていると、いつもどんどんズレていって一緒に来た人から「またズレてるよ」と何度も注意されたっけ。
耳で聞くリズムと身体を動かすリズムがとんでもなく乖離しているのだ。

それにしても「リズム感」は何のためにあるのだろう。

「音感」が何のためにあるのかはわかる。
進化論的に考えれば、聴覚を発達させたのは危険察知と捕食のためだ。
そしてそれなりの聴覚を獲得した動物の中でも、発声機能と情報処理能力を得た人間は音をコミュニケーション手段に使った。
音の中の高低に微妙なニュアンスを込めたりしたので、その弁別能力、つまり音感を発達させたのだろう。

しかしリズム感は何のためにあるのか。
いろいろ調べ、もちろんChat-GPTにも聞いたけど、どうもしっくりしたものがない。
人間以外でリズム感が認められた例として頻出したのが、オウム、アシカ、ホタルなどであった。たまたまなのか、それらは進化でそれなりの聴覚を獲得した鳥類、哺乳類、昆虫ではあるが。
しかし動物界で進化した三大勢力に共通項を見出すのはあまり意味がないのかもしれない。

リズムに対して生物的な答えを求めるのではなく、より広く物理として捉えてみるとどうなるか。
一定のリズムを刻むものは何か。
地球の自転、公転、月の公転、振り子が考えられる。
全て回転だ。等角速度運動だ。
公転は共通重心を中心とした回転運動だし、振り子の運動は回転運動を横から見たものと同じだ。
(公転は厳密には楕円運動;等面積速度運動だけど、まあ同じだ)

では回転運動にどんな特徴があるのか。

回転運動は何かと効率がいい。ロスが少ない。摩擦を最小にできる。
人類は土器をつくる際に回転する”ろくろ”を発明し、ろくろから車輪を発明して、物資の運搬効率を飛躍的に向上させた。
現代は車輪、回転物だらけになっている。そのものが回転しなくても、あらゆるものは何かしら回転するものから作られたはずで、人類は回転するものを排除して生きていけないのだ。
なのに生物は何十億年かけても進化の過程で車輪・回転物を作り出せなかった。
こんなに効率がいいのに。

しかし生物が何らかの運動をする際に効率を追求すると、回転運動に模した動きに近づいていくはずと考えた。
多くの筋肉や関節が連動して、最大の力をロスなく発揮させようとすれば、等角速度な回転運動にできるだけ近い運動のほうが有利なはずだ。
つまり同じピッチ、同じリズムで運動神経を連動させるよう進化したと考えた。
その連動を生み出す能力がリズム感なのかもしれない。

正確なリズムほど運動の効率が良くなるということは、より速く、より長く、より疲れずに走れて飛べることではないだろうか。
つまり「リズム感」は走るため、飛ぶためにある、というのがボクの説だ。

ちなみにボクは走るのは、短距離も長距離も得意ではなかった。
しかし息子は走るのが得意だった。彼が小さい頃、何を見てそう思ったのかは忘れたけど、ボクのリズムを感じ取る能力が発動して、おっ、こいつはリズム感があるな、と思っていたら、小六ではクラスで一番足が速い子になっていた。
そして大学生になった今は、そのリズム感を生かしているのかバンド活動をしている。

そう言えば以前に、人間は長く走れるようになって陸上動物界を支配したと書いた(「ホモ・ハシレルス」)。
おそらくだけど、人間は最もリズム感があるかもしれない。

文章にもリズムが必要だと思っている。
リズムの話を書いているのに、今回の記事にはリズムを付けることがどうしてもできなかった。
いつもは何らかの表現を繰り返したりして、リズムに気を付けていたのだけど、今回は全然だった。
今ここまでで2400字くらい書いたけど、書いて消した分がたぶん3000字はあったと思う。
ギターを練習していた時の話、鳥類と聴覚について、恒温動物と聴覚の関係などなど、字数と時間をかけて書いたのにバッサリ消してしまった。
どれもこれもリズムが悪くなったから消したのだ。
それほど消して厳選したみたいだけど、今読み返すとまだリズムが悪い。
やはりリズムは感じ取れても、リズムを織りなすのは下手のようだった。それではまた。

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