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24年前の私を思い出しました😌 中編 ✨深い苦悩の日々✨  


☝️前回の記事です。


営業部に異動が決定しましたがまずは着るシャツ👔やスーツや靴👞が全くありません💦

スーツの値段はピンキリですが同じものばかり着ていく訳には行かないですし色も変えないと…

夏服、冬服とバリエーションも必要になります。😵🫨

緊張して入った新しい営業の部署の先輩や上司は本当に厳しい人ばかりでした。部屋中に⚡「ピリピリ」⚡とした緊張感が漂っていました。

2000年当時の平成時代には「パワハラ」や「モラハラ」という言葉や概念すら無い時代です。

今では当たり前且つ企業にとって最も重要な物の一つである「コンプライアンス遵守」の概念さえも。

当時のとても怖い上司や先輩達の人物像は

「無理を通せば道理が引っ込む」

「俺がカラス🐦‍⬛が白い⚪と言えば白い⚪だろ!? あぁ?」

的な体質で明らかに無茶苦茶で無理な同調圧力があり、このテイストは日常茶飯事。😵🫨

徹底的な人格否定により私は仕事・営業の名のもとに「ゼロリセット」を強いられました。

令和の現代ではどれも一発アウト🙅の案件ばかり...

…とてもじゃないがついて行けない…

営業成績ゼロの日が続きGWも過ぎた頃私が上司や先輩から受ける言葉も次第に厳しくなって行きました。

今では言えない、書けない様な辛辣な罵倒や罵声が飛んでくる事は当たり前。恫喝染みてもいました。

朝礼や夕礼では吊し上げにされる事はほぼ日常でした。

営業度胸を付ける意味合いで飛び込み営業ばかりでしたがどれだけ訪問しても営業成績はゼロ…

鬱屈した気持ちで出勤して自分の机に座っても「今日やる仕事が何もない」と言う現実。

ゼロの恐怖に苛まれ焦燥感に刈られ明らかに通常の精神状態では無かったです。

家に帰ると7月には出産を控えた身重の妻が心配そうに私を見ている。

「大丈夫、大丈夫だよ」

と言うのが精一杯でしたがその言葉に何の担保も保証もありませんでした。

7月1◯日、夏の暑い日に無事息子は生まれましたが嬉しさよりも「明日も仕事ゼロ」の恐怖と焦燥感の方が遥かに強かったです。

一向に上がらない成績…

当時私の所属しました営業の職場では

  「問題解決型営業」

がスローガンでした。📣

その意味合いはお客様の商品成約に至れない不満点や疑問点を聞き出し色々な角度から

「具体的に問題点や障害になっている事を解消、解決する」

「解決する事により成約に至る事」

に重きを置くスタイルでした。

然しながらその「問題」にさえ辿り着けない毎日。

次第に営業に行く所もなくなり公園のベンチに腰掛けたり無為にブランコに乗ることが多くなりました。

当時はよく公園のベンチに座り頭を抱えていました。💦
スーツ着のまま一人寂しく漕ぐブランコ

平日の昼下がりに小さい子を連れ公園に訪れた主婦の方からは間違いなく「あの人は売れないセールマン」と私は映ったと思います。


本当に訪問する所が無いのです。


その後も売れない日々は続き虚無感と精神的プレッシャーに押しつぶされ夜もまともに寝れなくなり自分の「存在意義」すら分からなくなって行きました。

日に日に「もう仕事を辞めたい」衝動が大きくなりましたが生まれたばかりの息子と妻を見ますとそうも行きません。

土曜日は「セールストークトレーニング」受講の為、隣の愛◯県にほぼほぼまる一日通い、日曜日は今ではNGかと思いますが自宅で翌週の会議資料作成やお客様にお見せする企画提案書作成のパソコン作業で一日が終了😫

大好きな漫画やガンダムアニメ鑑賞その他コレクション収集などプライベートで楽しむ時間は全くの皆無でした。

食欲も落ち、体重も激減、自分自身「本当にヤバい」と思う様になりました。

果たしてその後や如何に…


後編に続きます✨🫡

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