「親のような人生でいい」と思えたら、自由に生きられる。
「親と同じ人生でもいいや!」と、心から許可できたのなら、働き方や生き方、暮らし方に自由になれると思いました。
そう思えるまでは …「親のようにならないための仕事」「親のようにならないための目標設定・努力」「親のようにならないための人生」だからです。
そこには、「AではなくB!」という偏り、執着、力みがありますから、人生のどの地点まで行っても、ずっと苦しみがあるはずです。
「絶対に、父親のようにならない!」という逃げ続ける、緊張感がありますから。
(こうやって僕らが考えるひとつの原因に、母親がつぶやいていた愚痴なんかがありそうですね。。やれやれ)
さて、非常に説得力のあるメッセージになっているのではないか?と思いますが、その理由は、まさに僕がその道を通ってきたからです。
例えば、
◆ 休日にはだらだらテレビを見て、家の中で過ごすだけの親。
◆ 出たくない、不都合な電話に「いないって言って」と子供を使って回避していた父親。
◆ ご近所への文句(嫉妬)を吐きながら、自分を変えようと努力はしない母親。
◆ 家の中に物が多く、不潔感が漂っていても、疑問を感じない両親。
こういったものを幼少期に見て、「こんなふうにはなりたくないな」といつの間にか思っていました。
「絶対違う人生にしてやる!」って。
それは、仕事の選び方、仕事に対する考え方、お金のこと、ライフスタイル、趣味、性格や人格 … 全部に影響したように思います。
が、人間ですから、やっぱり “ 彼らと同様の性質 ” が(悲しいかな)僕の中にもあります。
「全く同じ」ではないにしても、同じような傾向を所有している。
例えば、「休日にただテレビを見て過ごす」というのは僕にはありえないことなのですが、「家にこもってひたすら読書したりマジックを考えたりする」(子供の頃ならゲームをしたり)のは、好きです。
なんなら、極上の過ごし方じゃないか?とさえ思います。
父は極端に、人付き合いが少ないように思いますが、僕も結局は同じような人との関わり方が、快適です。
電話の居留守がいいかは分からないけど、僕も、関係性が遠い人からの電話は得意ではありません。
結局僕ら、親と同質の要素を持っているんですよね。
幼少期や思春期にそれを嫌っても、それは「自分の一部分」だったりします。
ということは、こうも言えないでしょうか?
『 親の仕事、生き方に、自分の本質がある 』
どんなにかつて、嫌った存在、性質であっても、同じ血が(人によっては魂が)通っています。
ということは、たぶん、あなたにも親と同様の要素があるんです。(良くも悪くも)
それを否定し、嫌い、見ないようにして、ユメだけを生きている時、あなたは本当の人生のうち、「半分」しか経験していないか、あるいはそもそも、『ニセモノの人生』を生きてしまっている。そんな可能性があるわけです。
今朝のメモです。
親の人生観・職業観をゆるせる(許容できる)と、キャリア選択における「Aか、Bか?」(親の背中か、異なる道か?)という問いが、自由になります。
つまり、『どっちでもいいや』になる。
「カフェは絶対にスタバ!」とか、「スマホは絶対に Apple・iPhone!」といった “ 縛り ” がなくなります。
「スタバじゃなくてもいい」「Android でもいい、楽しめる」
これ、めっちゃ自由なの分かりますか?
「親のように絶対になりたくない!」から「親のようになってもいい」という自由、安心、幸せ。快適さ。
「お父さんみたいな人でいい」「お母さんみたいな人でもいい」
これはまるで、北風と南風とがぶつかり合う、混ざり合う感じに思います。
冷たい風も、暖かい風も入り混じる。新しい風も、古い大地も。
するとどうなるかというと、(物理学的な視点からではなく)風は真上へと上昇していきます。
今まで水平方向に向かっていた風から、垂直方向の流れになる。
僕たちもそんなふうに、「これまでの次元」を包み込み、受け入れることで初めて、真の上昇を経験すると思ったのでした。
Matty
こじらせ親について。
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