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海鳴り③

木造の古い造りに
後付けではめ込まれたサッシが
時折カタカタと乾いた音を立てる。

昼間は半袖のTシャツでいいほどの気温は
日が暮れてから一気に下がったようで

半そでパジャマに夏布団の私は
布団を体に巻き付けて丸くなっても
身体が温もらず、寝付けなかった。

二階には部屋が三つあり、
父母の寝室と、その向かいの部屋は
物置き代わりになっている。

そこの押入れを探せば
厚手の布団もありそうだが、
二階に一人きりの私は
その部屋へ行くのが怖かった。

祖父や祖母に頼むのは
母が不機嫌になるのがわかっているので
それも出来ない。

父も母もいない二階に一人で寝るのは
絵本のお気に入りのページを開いて
枕の横に開いておく方法も思いついたが
寒さはしのげなかった。

そんな夜に限って
強い風が波のうねりの低い音を運んで来る。

じっと目をつぶって
布団の中に丸まっても
その音は途切れることなくまとわりつく。

更に丸くなって息をひそめていると
階段を上ってくる足音がかすかに聞こえた。

その足音は私の部屋の前を過ぎ、
奥の部屋の引き戸を開ける音に代わる。

「お父さん?」

私は起き上がり、部屋から顔だけ覗かせて
灯りのついた部屋に向かって声をかけた。

「まだ起きてたのか?」

奥の部屋から父が顔を出す。

「寒い」

「ああ、急に冷え込んだからな」

父はそういうと物置きの部屋へ行き、
押入れの一番上から毛布を取り出した。

父の後ろをついて歩くだけでも
アルコールの匂いが漂ってくる。

父はいつも煙草とアルコールの匂いがする。

「布団がいい」

「お母さんじゃないとわからないから
今日はこれを使っとけ」

父は私の部屋へ毛布を運ぶと
夏布団の上からかけた。

「遅いからもう寝ろ」

そういうと父は
自分の寝室へ戻って行った。

私は毛布の下にもぐり込んだが
またすぐ起き上がって部屋を出た。

父の寝室の引き戸は開いたままで
奥でパジャマに着替える父の背中があった。

「お父さん…寝れない」

「・・・」

私は父の背中に呟いてみた。

しばらくその場に立ったまま
その背中を見ていたが、
父は振り向かない。

私は諦めて自分の部屋へ戻ろうと
踵を返した。


「おまえは…」

父が背中を向けたまま
ぽつりと言うのが聞こえた。

「お父さんだけじゃ嫌か」


胸の鼓動が一度大きく鳴る。

父は背中を向けたままだ。


母が留守ということを
ただ言っているのか、

それ以外で何か、
意図を含んだ言葉なのか。


何か答えなければいけない、
私は焦るが
胸の鼓動はどんどん大きくなり、
何も浮かんで来ない。

早く何か言わなければ
父が怖いことを言うかもしれない。

「…!」
声が詰まってうまく出ない。

何を言ったら
父がそれ以上何も言わないでくれるのか。


膝も震えて来る。
裸足の指に力を入れて踏ん張る。

「…お父さんは…」
声が震えてしまう。

「いつもいないから…」
動悸が苦しくて語尾が消えた。


「…すまん」


座り込んだ父は
やはり背中を向けたままだった。


私は自分の部屋へ戻って
毛布の中へ頭までもぐり込んだ。

毛布は少し湿った匂いがした。



父は今、一人の部屋で
何を考えているのだろう。

父が私に謝るなんて
思ってもみなかった。

あんなことを言わなければ良かった。


毛布の匂いの中に
微かに母の匂いを感じる。

母と一緒に寝たのは
6歳までだった。

末っ子の弟が生まれたのと
私が小学校へ入学した時期が重なって
私はこの部屋を与えられた。

「お姉ちゃんなんだから」と
上の弟が生まれてから
大人たちから口々に言われるようになった。

姉らしくするということが
我慢をするということらしいと
私は何となく理解した。

一番下の弟が生まれてからは
「しっかりしなさい」と言われるようになった。

どうすれば「しっかり」なのか
まだよくわからないが、

大人を困らせないことだと
そんなふうに感じていた。

私はお父さんを困らせてしまった。


そう思うと涙が出て来てしまう。

泣きたい気持ちを止めようと
お気に入りの絵本のあの挿絵を
思い浮かべようとするが

どうしても思い出せない。


ゴォォォ…


途切れない雷にも似た海鳴りでも

今はその方が良い気がして
低く蠢くその音に
私は意識の全部を集中して
ひたすら朝の来るのを待つのだった。





















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眠れない夜に

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