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自分自身の彫刻家であれ!

タイトルはドイツの哲学者
フリードリヒ・ニーチェの言葉。

タロットカード№4「皇帝」のカードから
連想した記事です。

◇◆◇


二男は長男と一歳違い。
※長男・たね太郎、二男、たね二郎

小さい頃は兄弟ゲンカに負けると
「どうせオレなんか一生、二番目だー!」
と、口惜しがって大泣きし、

あるときは
赤ちゃんの頃の長男の写真を眺めていて
「お兄ちゃんはオレの服ばっかり着てる」
と発言し、私をフリーズさせた。
(お下がりだと全く気付いてない)

あるときは
自分の脱いだ靴下を脱いだ場所に
そのまま放置しているのを
たね太郎に片付けるよう注意され、

「それに気がついたおまえが
片付けたらいいことだ」

と、言い返して兄弟喧嘩になる。

この場合、どこの家庭でも
たね二郎の言い分は
「へ理屈」と見なされると思う。

彼の視点の面白さは横に置いて、
私もとりあえず、たね二郎をたしなめる。

そうすると、今度は
「どうせ、いつもお兄ちゃんが勝ちなんだ」
弟の自分は損だと腹を立てる。

この件、そもそも勝ち負けではないと思うし

自分の脱いだ靴下を
自分で洗濯カゴへ入れるくらい、
少なくとも
損ということではないと思うのだが。

でもまあ、たね二郎の独特な主張は「唯我独尊」を
ギャグにしたようなユニークさがあった。

コミュニケーションのタイプも
たね太郎とたね二郎は対照的で

たね太郎は気遣いとか、遠慮の達人で
自分が寒いなと思っても
「お母さん、寒くない?」
と、まずは周りの気持ちを
確認するようなところがある。

だが、たね二郎はそんなたね太郎に
「まわりくどい。言いたいことははっきり言えばいい」
と、いちいち噛みつくのだった。

そんなたね二郎だが、学校では
陽気なムードメーカーだった。
先生も彼の明るさをいつも褒めてくれた。

のびのびやれているようにも思える反面、
三~四か月に1~2度は
体調不良を訴えて休んでいた。

いつも月曜日に休む傾向があったので
彼なりに無理しているんだろうと
「休みたい」と言えば、何も言わず休ませた。

単純というか、わかりやすい子でもあった。

~赤いマントは勇気、情熱、強い意志の象徴、その下には常に甲冑を装着~


高校を卒業して、
ハマっていた弓道を続けるために
選んだ大学の受験に失敗して
「何となく」自動車の専門学校へ進学した。

ところが、一年経過しないうちに
「オレはそんなに自動車が好きじゃなかった」
と、こぼした。

専門学校の入学金や授業料は高い。
借金して頭金を作って進学させた私は
たね二郎の言葉に文字通り、膝から崩れ落ちた。

ただ「自分で選択した進路」だという
責任というか、プライドはあったらしく、

二年間、彼は悶々としながらも
真面目に勉強して卒業した。
成績も上位層で修めた。

自尊心をパワーにしたのだと思う。


一方、自動車に興味が持てないとはいえ、
じゃあ、自分は何がやりたいのか、
二年という時間では答えを出せずに
そのまま自動車メーカーへ技術職で就職。


そして、一年経った頃、
彼は会社へ行けなくなった。

何日も欠勤するたね二郎を心配して
彼の上司がわざわざ連絡をくれたりした。

たね二郎は職場でも評価が高く、
上司は彼を将来の後継ポジションとして
期待して下さっていた。

しかし、そんな周囲の期待より
自分の違和感を抑える苦痛に耐えられず
彼は退職を選んだ。

ほどなくして
近所の本屋さんでアルバイトを始めた。


そして、それ以外の時間はすべて、
部屋に籠もりっきりで絵を描くようになった。

専門学校時代に製図か何かの授業で
自分のデッサンを高く評価されたことが
彼の中に何かピンと来るものがあったらしい。

それ以来、趣味で描いてはいたのだが、
退職後、何かに憑かれたように
バイト7時間、睡眠7時間、
それ以外の時間をほぼ、絵を描くことに没頭した。

しかしそれは
明日の見えない不安との葛藤でもあった。

いつもストレスフルで気持ちは荒んでいた。

自分の内面を
外側の世界に投影させるかのように
周囲のすべてに対してイライラしていた。

常に戦闘態勢というか、
傍からみていると、
独自の世界観を貫くために
自ら苦労をかっているように見えた。

当時の彼の精神的救いが
ニーチェの言葉だった。

ーー自分自身の彫刻家であれーー

ーー存在するのは解釈だけであるーー



あの頃のたね二郎の荒んだ表情や言動に
いちいち、ハマり過ぎてウケる。

彼にとって、辛い20代は長かっただろうが
絵をやめることはなかった。

あれから10年経った。

彼は今、原画作成の仕事をしている。
地方に住みながら東京の出版社から受注して
自営でまかなっている。


まさに一国一城の主、
ゼロから自分を彫ったのだ。

自分の感じるものだけを頼りに
彼はこの物質世界において
自身を築いたわけだ。

ニーチェでウケてゴメン(苦笑)


彼は仕事の内容のことや収入も
いっさい、教えてくれない。

先日、たまたまある話題から
Twitterの話になったとき、
たね二郎には30万人近いフォロワーがいると知り、
私は目が点になった。

「30万⁉
ケタ、間違えてんじゃない?」

「間違えてない」

「あんた、どこのだれ様なの?
もしかして、有名な方?」

「いやいやいや、そんなんじゃないって。
オレは下請け業者だから。」

あら、ご謙遜?

収入、聞きたいけど
絶対言わないよねー・・・

彼は現在、自転車で15分ほどのところに
アパートを借り、
そこを事務所として使っているが
スペース的にも申し分ないのに
いつまで経ってもそっちへ引っ越す様子がない。

今は受注も安定しているようだし、
経済的にもう十分、
独り立ちできるだろうに、何故?

「フォロワー30万人ってさー
それなりにあんたに実績があるってことだよねぇ?」

私がそういうと、彼は
真顔で私を見据えて言った。

オレを、あてにせんように。

目つきが怪訝だ。

人に気を遣う兄を批判するときの
あの目つき。

「・・・?」

あれ?
なんか、私、釘さされてる?

「あてにするな?」

・・・・は?


私、何かまわりくどいこと言ってます⁉

そして、負けた気がするのは気のせい?




今日はここまで。
では、また~

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