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此の世に遺したい、光⑧(尊厳)

「尊厳」とは、何だろうか?
自分、そして全ての人の存在、価値を尊重すること。
各人が、「自分らしい生き方」ができることだと、私は思う。

私達には、自己決定や自己表現、自己実現などを行う権利がある。
その権利を尊重し、守ること。
それはすなわち、「尊厳」を守ることに等しい。

自力で呼吸する、食べる、排せつする、話す、移動できることは
生きる根幹である。
これら生きる根幹に恵まれていることは奇跡だ。
とはいえ、この状態が空気のようになっている人が大半だろう。

私達は病を与えられて、これらの恩恵にようやく気づくケースが多い。
自発呼吸ができない苦しさ。
自力で食べることができない、嚥下障害、消化器が不調である苦痛。
思うままに対話ができなくなる寂しさと苛立ち。
出かけることができなくなる辛さ。

病が治癒して、元に戻れたらまだいいかもしれない。
進行性の難病が与えられた場合は、どうだろう。
生きることそのものが、さらなる苦痛となるのだ。
命の尊厳とは如何に。
一瞬でも長く生きることだけが、美しいのか、どうか。

先日、安楽死を選択した方の手記を読んだ。
一秒でも長く自分に生きてもらいたい、周囲の人々の気持ち。
しかし、自分が尊厳を保ったまま生きることは最早できない、ジレンマ。
最終的には、この方は以下の理由で、
自身の安楽死の選択を理解してもらい、旅立っていかれた。
進行性の難病を患う自分の寿命を明け渡すことにより、
自身に投じられる莫大な医療費を社会に譲ることとなる。
それはひっ迫する医療財政にプラスとなり、他の患者を救うことができる。極めて倫理的な行為となりうるのだと。
胸がいっぱいになった。そこに至るまでの葛藤たるや、如何に。

生きる上での尊厳とは、何だろう。
きっと生きている間、問うては答えが見つかりきらないのかもしれない。
生きているからこそ簡単に知ることができない、その答え。
なんと、有難いことだろう。

一瞬先に、私が死ぬならば。
この感謝を、光を遺したい。
ありがとう


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