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此の世に遺したい、光②(手)

自分の肉体(キグルミ)で一番目にしているのは、
視界に入りやすい自分の両手だと、私は思う。

「私の手」は、10本の指と左右の掌ひと組で構成されている。
指にはそれぞれ、爪のおまけつき。
これらは、整った形をしている。
親しみやすい女性のように、触れたくなる魅力がある。
加えて、生きた年月全てを刻んだ姿をしている。
それはそれは、美しい。

さらに、すごいことに。
「私の手」は、私が思うままちゃんと動いてくれる。
今朝、この手が触れたものを挙げてみよう。
身を起こすのをそっと助けるため、ベッドに触れた。
朝の陽と空気をいれるため、窓を開けた。
歯磨き粉と歯ブラシを手に取った。
一日中数えきれないものに触れ、動かし、
私と共に一日を終える。そんな毎日を繰り返してくれる。

宇宙の創造力に、びっくり。
”空間”が化学反応?して、星や生命を生み出し。
色々なことを経て、この手を形どったのだ。

前の日まで、通常通り生活して。
その日の日中倒れ、意識が戻らないまま亡くなった、
祖父の穏やかな最期を思い出す。
私達家族と駆け付けた大勢の親族に、看護師さんが声をかけた。
「おじい様のお手を取ってあげてください。
 手の感覚は、ご本人に届くそうですよ。
 お耳は聴こえていらっしゃるそうです。どうぞ、お声がけを。」
こういわれても、皆は何もできず、しばし黙ったままだった。
祖父を愛していたとはいえ、もう生気も意識もない姿を前にすると
どうしたらいいかわからなくなったのだ。

沈黙が続く中、私はそっと、祖父の手を取った。
それは既に、「祖父の手」ではなかった。
土、というか。単なる地球の一部分でしかなかった。

「祖父の手」は、
碁笥から、そっと碁石を出す手。
癖だった、会話相手との間に小さな虹を作る手。
私の手を引いてくれた、大きな手。
戦後の日本各地に、道路建設を指揮した手。
幼子だった私の父を、抱いたであろう手。
美しい祖母の手を取った、手。
大好きな計算問題に取り組みながら、落花生の皮を剥いた手。
可愛らしさに、そっと曾祖母が触れた小さき手。
地球に還った「祖父の手」は、どこにいってしまったのだろう。

その後ほどなく、私は「祖父の手」と再会する。
社会人だった私が、「人前で話す」機会を与えられていた時期だ。
職務をこなせるよう、懸命に練習したが、
全く思うようにいかないまま、何回目かを終えた。
ある日、多くの人を前に、私は演壇に立った。
その瞬間、私の手はあたたかな手で包まれた。
その手は見えないけど、分かった。「祖父の手」だった。
胸がいっぱいになった。祖父からの光を感じたからだ。

いつか必然の時、「私の手」も、地球に還る時が来る。
その瞬間まで、私の手は何を取り、そして離すのだろうか。
生れ落ちてから今まで手にした光を、何処に繋げていけるのだろうか。
この手がある、幸せ。
なんと、有難いことだろう。

一瞬先に、私が死ぬならば。
この感謝を、光を遺したい。
ありがとう

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