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言葉を知っている者は誰でも詩人である。

スペイン語のクラスからの帰り道、22時を回っていた。ネクタイの結び目を緩め、濃いグレイとネイビーのスーツを着た男性ふたりが日本の産業について語っている。日本にはいい技術力がある。本当にいいものを地道に作る地元の働き手たちがいる。日本の技術とその担い手を守らなければいけない。そこに金をかけねばならない。スーツ姿の男ふたりの議論と列車の揺れの両方が私にはどことなく気味が悪く思えた。
日本の地場産業に思いを馳せる前に私は購読しているスペイン、マドリッドの新聞、エル・パイスの記事をスマートフォンで読んだ。ぐるぐるにきつく巻かれた真っ白な包帯、中身は幼き子供だ、殺されたパレスチナの子どもだ。異様に白い包帯の塊を強く抱きしめるパレスチナの名も無き女性。包帯ごと孫の亡骸を抱きしめる彼女の顔は見えない。
この写真をエル・パイスが報道したのは5月になるより前だ。今日は5月7日。私は日本のテレビがこの写真を紹介しているのを初めて見た。
包帯が輝くように白い。
輝ける白い包帯に巻かれた遺体はなにもパレスチナに特有のものではないだろう。国と国との、民族と民族との、権力と反権力との衝突のたびに、名も無きものたちの大量の遺体が山積みとなる。包帯に巻かれる遺体、巻かれない遺体、汚された遺体、蝶のように軽い遺体。固くて動かない、死んだかぶと虫の頭と胴があっさりはずれるように、ひとの遺体もするっともげるのだろうか。

富を得ることは資本主義社会における目的のひとつだ。
名誉を勝ち得、人々に称賛されること、適度な刺激だろう。
すべてを支配しようと他者と他国を侵す野心に限りはない。
宇宙と生命に関する新たな道筋を模索し続けるのは人類の宿命だ。
誰かを愛することは最も勇敢な一歩だと若者はまだ知らない。
誰かに愛され、ひとは初めて無邪気に心と身体を開くことが出来る。
今までまったく知らなかった未知を覗くと心が躍る。
今まで積んできた記憶をすべて捨てる行為をもちろん人は選べる。
たったひとつの微笑が明日への道しるべになることもある。
なにかに耐え続けたとしてもさほど得るものはない。
三日間、泣き続けることを許されたものは幸運だ。三日後、今まで知らなかった驚くほど簡単な考え方、物事の観察方法を手に入れられる。
正直になることと深刻になることは同義ではない。

何回も何回も踏みつぶされ、それでも生きようともがく者、街の片隅に打ち捨てられたゴミとゴミの間に生える汚れた雑草であっても、生きたいと頭をもたげる者たちの荒い息遣いを感じる耳と肌を私は持っていたい。踏みつぶされた事実、繰り返しの殴打の記憶を越えて、私の肌はより鋭く世界の矛盾に恍惚として立ち向かう。

ノーベル文学賞受賞者ボブ・ディランは歌った。
答えは風の中にある。
わたしたちはディランのこの言葉を彼が現れる前から本当は知っているのだ。言葉を知っている者は今、まさにこの時点で誰であれ詩人なのだから。

わたしたちは知っている。ノーベル賞は何一つ救うことは出来ない。
わたしたちは知っている。文学は誰一人救うことは出来ない。
わたしたちは知っている。詩人の死が他者の生に寄与することはない。

少し眠った方がいい。
少し眠って目が覚めたら、私はスペイン人の教師をくすくすと笑わせるために何か気の利いた文章をスペイン語で書くのだ。
都会の片隅の小さなスペイン語スクールで数十年ぶりかにスペイン語の学習をはじめた時、私はスペイン人の教師にこういった。
「死ぬまで、スペイン語を学び続けたい」
OK。ときどき、私は物事を大げさに口にする癖がある。けれど私は嘘つきではない。嘘つきにはなりたくない。

なんにせよ、少し眠ろう。
母国語である日本語も、学生時代に専攻したスペイン語も、それから大好きな洋楽を私に叩きこんでくれた英語も、それからスペイン北部、バスク地方で語らている謎の言語バスク語。言語はなんて素晴らしいんだろう。言語を通じて私たちは明晰で知的でそれから力強くいられる。
他の言語を学び、他の文学芸術政治宗教に触れることで、母国語で形成された私たちに固有の物語や価値観に大きな刺激を与え、今まで気づくことさえ出来なかった新たな物の見方を手に入れられたらどれだけ素敵だろう。

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