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【デンマーク留学】デザインを学ぶフォルケホイスコーレでの記録:1

フォルケホイスコーレ生活を終えました

約1年間のフォルケホイスコーレでの生活が終わり、その後日本に帰国。一時帰国中に書いていた前回の記事からかなり期間が空いてしまったが、備忘録として下書きに残していた記事から仕上げていくことにした。

●私のデンマーク滞在歴●
デンマーク第6の街・Randers郊外にあるフォルケホイスコーレ、Den Skandinaviske Designhøjskoleにて、2020年春セメスターと秋セメスターに参加したあとに帰国。

アースカラーの岩が組み合わされた外壁

約1年間のフォルケホイスコーレ生活といっても、私がいた2020年はコロナウイルスのパンデミックの影響により、春セメスターのほぼ半分の期間デンマークはロックダウンしていたため、教育機関は全て閉校・スーパーマーケットや薬局などの最低限の店舗以外は全て休みになってしまい、実際にフォルケホイスコーレらしい生活を送ることができたのは約半年間というところ。ロックダウンの期間、デンマーク人・ノルウェー人・アイスランド人の生徒たちはそれぞれ自宅へ戻り、遠方から来ているアジア人とオセアニア人の留学生数人だけが校内に残って、自炊をしながら、授業の再開と他の生徒の帰りを待っていた。

世界中がCOVID-19に翻弄された2020年、デンマークはヨーロッパの国のどこよりも早く、ロックダウンすることを決定した。
どれくらいの速度かというと、

2020年3月上旬に政府がロックダウンを検討中というニュース

2日後、ロックダウン決行。
デンマーク人をはじめとする北欧からの生徒は寮から自宅へ戻る。

日本ではまず考えられない決断力と実行力には圧倒されるものがあった。もともと学校行事として計画されていたオランダへの旅行はもちろんなくなり、個人的に計画していたアイルランドへの旅行は飛行機のフライトスケジュールとともに白紙になった。

予想していた生活とは全く異なる展開になったものの、デンマークでの1年間は未知の経験の積み重ねで、数え切れないほどの幸せを感じることができたし、生徒が皆ひとつ屋根の下で過ごす環境での共同生活、周りの人とコミュニケートしたり何かを実行するには英語で話さなければならない環境で、これまで味わったことのないストレスを感じることもあったけれど、間違いなく私の人生の中で最も輝く日々だった。
内容が濃すぎて、丸3年くらいデンマークで過ごしたかのように感じたほどだ。

留学前の大義名分としては
「世界的に有名なデンマークのデザインを暮らしながら学び、自身のこれからのデザイナーとしての仕事に活かしたい」
だったのだが、これは対外的に整えたもっともらしい口実であって、私のしたかったことはシンプルに
「大好きな北欧に住んでみたい」
本当にそれだけだった。
会社を辞めてまで飛び込んだここでの生活が、これからの人生に活かせるかどうかはやってみなければわからなかったし、やってみてから考えたってかまわないと思っていた。

「オン/オフきっちり、やりたくないことはやらない」

私が通ったDen Skandinaviske Designhøjskole(略してDSDHと皆呼んでいた)は、デザインを学びたい人々が集まるフォルケホイスコーレで、1セメスターあたり70〜90名ほどの生徒が寮生活をして学んでいた。
生徒の国籍はデンマーク人が7割、ノルウェー人が2割、アイスランド人や欧州の他の国、日本・韓国などのアジア人の留学生を合わせた1割。
彼らの多くが入学以前から何かを作ることが好きな生徒だったり、デザインをしたことはないけど学びたいと思っている生徒、美術系ではない大学をすでに卒業したがこの学校に来てデザインを学び将来的に何をしたいか見極めたいという生徒、すでに母国でデザイン系の大学を出てデザイナーとして働いており、デンマークのビザを取得するため滞在することにしたというデンマーク人と別のヨーロッパの国のハーフの子など、さまざまなバックグラウンドをもつ人々が各々の目的で集まってきていた。

授業は平日朝8時30分から始まり、15時30分には授業が終わる。月〜金の間にその週に出された課題は終わらせることが可能なスケジュールとなっており、土日は完全にオフ。平日は課題に追われて慌ただしかったが、メリハリのあるスケジュールになっていた。

1週間のスケジュール

しかし、「追われて」というのは、私を含む真面目な気質の留学生に当てはまる言葉であって、多くのデンマーク人・ノルウェー人・アイスランド人の生徒は課題に追われる生活ではなかった。彼らは平日でも、オン/オフの境目をきっちり分けて過ごしていたのだ。そんな中でも建築コースの生徒は毎週のように建築模型を仕上げる課題があり、深夜すぎまで制作などザラだったので、私が選択したプロダクト・インテリアコース、ヴィジュアルデザインコースでの話。(私は春と秋で違うコースを選んだ)

毎週出ていた課題の一例。課題の内容によって制作期間は異なるものの、たいていの課題は月〜金の1週間で完結するようにスケジュールが組まれている。

雑誌を作る課題で、それぞれちがう素材をもらった。
フォント・テーマ曲・カラー・モノから、インスピレーションを受けて作る。

数人の生徒で協力して進めるグループ課題や、雑誌のデザインなど2週間かけるものも稀にあったが、毎週金曜日に全コースの作品を集めたエキシビジョンがあったので、実質制作期間は月〜木だった。なお、毎週水曜日は「VISIONS DAY」という朝から講義を受ける日があり、その日は校外学習も頻繁にあったり夜まで様々なジャンルの講義やライブ、ヨガクラスなど多岐にわたる行事があったため、さらにその週の課題にかけられる時間は減って月・火・木で作品を仕上げる必要があった。なおかつ10時ごろには毎日おやつタイムがあり、みなコーヒーを飲みつつお菓子をつまんで休憩していた。

おやつはキッチンレディが作ってくれた手作りパンや焼き菓子
よくニンジンと皮剥きがワイルドに置かれていた(おやつ)
とあるグループ課題のMTG風景。なんだか難しい顔してる写真しかなかった。

それに加え、学校内で寮生活をする学生には雑務も与えられる。寮ごとに毎週キッチン業務担当が割り当てられて、全生徒分の昼・夜ご飯の食事の準備(ご飯自体はキッチンレディと呼ばれる女性たちが作っておいてくれる)、食事後の食器洗いと清掃、定期的な寮の共有スペースの掃除などがあり、毎月寮ごとにパーティーを企画するという授業外のやることも膨大にあった。
そんなこんなで課題と向き合う時間は正直短いのだが、生徒たちは15時30分に授業が終わるとぴたりと作業をやめて、教室から出ていく。それでも金曜日のエキシビションにはちゃんと彼らの作品が並んでいるのだ。

日本の美術学校で学び、課題のために徹夜するなんて毎度のことだった私としてはけっこう衝撃だった。見るとモノによってはあきらかに時間が足りていないものもあるのだが、期間が短いにもかかわらず一応それなりの形にできる生徒たちを目のあたりにし、このシステムはデンマークの教育の秀逸さが発揮されていると感じていた。

生徒たちの姿勢を個別で見てみると、「この課題はやりたくない」と言って、与えられた課題に取り組んでいない生徒も結構いる。生徒の大半がその週の課題をしていても、「やりたくない生徒」は全く別の作品を作っていたりするし、なんならその週は授業に来なかったりする。

特にインテリア・プロダクトデザインコースにはそのような生徒の比率が高く、インテリア模型を作る課題のときにイスを作る生徒、ミキサーのデザインを作る課題のときに木製の照明を作る生徒などなど、自由なものづくりをしていた。「みんなで足並み揃えて同じことを」が基本の日本の学校ではまず見かけない光景だ。先生たちも「みんなと同じ課題をやってね」などと水をささず、彼らがその時したいことを自然にサポートしていた。
制作に必要な道具や画材は先生たちに頼めば発注してくれたので、彼らの自主制作のためのものも頼むことができた。

私の方も課題以外のところで、土日は基本どこかの工房にいて自主制作をしていたので、先生たちに「こんなものが作りたいんですが、材料買ってもらえますか」とよく相談していた。与えられた課題はこなし、それ以外にも木工・陶芸・編み物・手芸・料理などありとあらゆるものを作りたくなり、授業時間外や土日にもひたすら何かを作り続けていた。

デンマークで作ったものたち

自主制作を中心に、作ったものを紹介していく。

●カッティングボード
クラスメイトのSophiaが作り始めて、仕上がりが良かったので周りの人に波及していった。
メープル・ウォルナット・合板のはし切れが木工室には転がっていたので、電動ノコギリで小さくカットし、パズルのように並べた木材を接着剤で全てくっつけ、表面を研磨し仕上げていった。

3枚作った中のお気に入りはこの細かい模様のもの。
「これにはFancyな食べ物しかのせられないね」と、Ibenからお褒めコメントをもらった。
一時期、生徒の間でカッティングボード作りが流行ったことがあった。
クリスマスギフトに最適らしい。

●編み物
最も熱心にやっていた編み物。
ロックダウン中もずっと編んでいた。
デンマークでは20代前半の若者も編み物が大好きで、校内で集まって編み物したり、先生の講義を聞きながらもくもくと編んでいた。(もちろん怒られたりしない)DSDHに入ってから編み始めた子も多く、編み物が得意な先生を囲んで質問しながら、コーヒーなんかも飲みながら過ごす空気が最高にヒュゲリ(Hyggelig)だった。
上手く他の言語に訳せないデンマーク語として有名な言葉で、Hyggeの方が広く知られているかもしれない。居心地良く過ごしてる雰囲気のことで、日本語にするなら、「ほっこり」「まったり」が近いと思う。
デンマーク人は皆、Hyggeligな時間を愛している。

私も日本で編み物などやっていなかったので、初歩から学んで、最初はマフラーや帽子など小さいものから始めた。驚いたのが、デンマークの子たちは最初に編むものとしてセーターとか、難しそうなものを選ぶ確率が高いこと。冬の間の寒さもあり、実用的なものを編みたいと思うのかもしれないけど、いきなり大物から作り始める大胆さに痺れた。

デンマークの編み物作家さんのレシピをにらめっこしつつ解読して、いまでも編み物を続けているけど、もうすっかりデンマーク式に慣れてしまって、日本式では作れない。

子供が生まれたばかりの後輩にプレゼントした赤ちゃん用帽子
2色編みのミトン(途中段階)
シンプルながら首回りのサイズを間違えて、何回も解いた
ケーブル編みの帽子は2つ編んで、どちらも友人にプレゼント
モヘア・ウール、2種類の毛糸を使ったセーター

●陶芸
編み物と同じくらい色々なものを作った。
このほかに陶器のデスクランプも挑戦したが、紙のシェードがうまく作れず失敗。
コンセントの配線を自己流でやったら、コンセントに刺した瞬間「バツン!!!」という音と共に、工房内がすべて停電して苦笑い。
そんなことしても怒られたりしない、寛容な国デンマーク……

成形後、釉薬をかける前
陶器のきのこ。中は小物入れ
中にキャンドルを入れるライト(焼成前)
ペン立てと花瓶
陶器のイヤリングパーツ
のちに組み立てた状態

●ペーパーコードの椅子
Hans Wegnerの椅子に憧れていて、せっかくデンマークにいるのだからペーパーコードの椅子が作れないかと考え、先生にペーパーコードの発注をお願いしたところ、すぐさま購入してくれた。

脚を組み立てたところ
ウェグナーの椅子にも使うMade in Denmarkのペーパーコードを使って
クランプで抑えながら巻く(ここまでは綺麗に巻けてた)

ドイツのYoutube動画を見ながらペーパーコードを巻いたけど、自己流すぎたのと、単純に力が足りなくてふんわりとした仕上がりに…。(腱鞘炎になった)私が学校を去った後に、授業の課題としてペーパーコードの椅子を作っていたようなので、少なからず影響があったのかもと思うと嬉しい。

●革小物
これは課題の一環。素材の本革を使いたい放題だったので授業時間外まで作った。珍しく材料費がかかる課題だったが、2,000円ほどの費用でなんでも作ってOK!という破格さだった。
その上ベルトの金具や、バッグの金具はカタログを見て選ばせてくれた。

デンマークで一般的な軍手使いやすいしカッコイイ
いろんな革小物たち

●オマケ: 野の花のブーケ

無造作に摘むだけでブーケになった
八重咲きのガーベラが豊作だった日
マメ科っぽい野の花を見つけた日
可愛くできたけどすぐ萎れてしまった
これは先生がくれたお庭の立派なダリア

制作物ではないけど、よく作っていたもの。
学校のまわりは360度見渡せる畑と林が広がっていて、敷地の庭も広く、カラフルな野の花が季節に合わせて咲いていた。授業の合間に摘んではミニブーケを作り、陶芸で作った花瓶に活けて楽しんでいた。

ものづくりが好きだと気付かされた日々

こうして代表的な自主制作ものを並べるだけでも、すごいペースで作っていたなあと我ながら感心。デザイナーとして仕事で作ったものは、ほぼMacを介して作られていたので、手仕事の喜びを感じて、寝る以外(編み物はベッドの上でも編んでた)は朝から晩まで手を動かしていた。

ずっとMacに向き合い、時間に追われている日々では気づけなかった、
「自分はやっぱり何かを作ることが大好きで、これは天職なんだ」
という当たり前のことを、デンマークの隅っこの田舎町、畑に囲まれたのどかな学校で噛み締めていた。

こんな風景を毎日見ることもなかなかない

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