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最高にラッキーな嫁

もうすぐ夫の母が他界して1年となる。

先日義母が夢に出てきた。
キッチンにいた私がふと2階を見ると
義母がいた。
私が「あれ??お義母さん?」
と言うと、
義母は、あのお茶目な笑顔で、
人差し指を一本立てて「しーっ!」

私は「きゃーーーーー!!!」
と大声で叫び
隣で寝ていた夫に起こされた。

1年前に他界した義母の膵臓癌が発覚したのは、
2021年の11月のことだった。

コロナ禍だったが、すぐにシンガポールに住んでいた義弟が義母の元に駆けつけてくれた。
義弟は、私が知る中で1番マメで、気がつく人であり、天性のホテルマンである。
義母を唯一、100%満たせる存在である。

そしてもう1人の義母の自慢の息子である夫も、アメリカからまもなく駆けつけた。

私はアメリカにいて今回は何もできなかったが、
これは宇宙の最高の采配であったと思っている。
コロナや仕事という逆境も味方につけて、
義弟も夫も、最愛の義母と最期の時間を水入らずで過ごせたのである。

私にとっても義母にとっても、
この距離があることで、
改めてお互いの存在、
今までのいろんなこと、
たくさん考え、感謝することができた。
私はこの1人の時間をほぼ全て
義母への感謝につかった。

それから約3ヵ月半、
息子2人とともに過ごした義母は、
安らかに最期を迎えた。

私は義母と共に素晴らしい最期の時を共にしてくれた2人に、心の底から感謝した。

義母と私の関係は、
22年前、大きなマイナスの関係からスタート。
そして22年の間に、
私の人生に最高の学びをもたらしてくれた。

22年の間、
笑い合い、ぶつかり合い、怒られ、
そして理解し合い、
どの友人や家族よりも濃厚で凝縮した
関係を築いた。

完璧主義な義母は、
嫁である私に厳しかったが、
人一倍愛に溢れていて、
私の気持ちを誰よりも理解してくれた。

私が気を抜くと、
いきなりあさっての方向から
雷が落ちてくるので
何度も感電した。

そして
義母は少女のように素直だった。
人の気持ちをとてもよく理解でき、
自分のことのように感じることができた。
私はよく怒られていたが、
それ以上に愛情をたっぷりもらった。

いつも義母は自分に正直だった。
私の実家の母と義母は、
おもしろいことに、とても似ている。
共通しているのが
「自分に正直」である。
娘や嫁という立場にいると
まあ大変なこともあったが、
今となっては、
人として尊敬することの方が多く、
総合的に言うと、「最高にラッキー」
だった。

人として女性として、
心から尊敬している。
私も2人の母達のように
家族を愛し、
自分の気持ちに正直でありたいと思う。

義母が他界する6日前、
私は1人でベッドルームで
義母との今までのいろんなことを思い出し、
全てが溢れ出して、泣きながら感謝していた。
義母との出会いも、
経験も全てが感謝だった。

そしてその後、
日本にいた夫からのメッセージ

「母さんが、こんなことを言っていました。
こうちゃん(夫)、いいお嫁さんもらったね。あんたには過ぎた人だよ、と。」

私の気持ちは義母に
ちゃんと届いていたのである。

そして亡くなる数日前、
義母から1人でビデオ電話があった。
その頃は病状の変化と共に
電話で直接話せることが少なくなっていた。
義母は
「あなたに最後に謝りたい。あなたは最高のお嫁さん。私は長いことそのことがわからなかったの。本当にごめんね。感謝してる。2人のこと(夫と息子)よろしくね。」

本当にすごい人だと思った。
普通の人はできないよね?
おっちょこちょいで失敗ばかりしていたお嫁さんに、
普通こんなこと言えない。
私と義母は泣きながら、
最高のお別れをした。

義母が他界してもうすぐ1年。
昨日スーパーで、
かわいいチューリップを見つけて
買ってきた。
今朝このチューリップを眺めていると、
突然義母の存在を感じた。

義母はお花が大好きだったから、
「きれいね。」
と言ってくれたような気がした。

先日夢で現れたように、
いつも2階で私たちのことを
見守ってくれているのだと思う。


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