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日本人の原風景

今年の正月は、初詣もせず親戚が集まることもなく、何か区切りのない新年を迎えたような感じがします。そうした中で、この本を読み、日本人の伝統行事を子孫に伝えなければと思いました。

「日本人の原風景 風土と信心とたつきの道 神崎宣武著 講談社学術文庫」

筆者は「私たち日本人が共有していた暮らしの『原風景』を探ってみよう、と思った」と執筆の動機を述べます。

まず、日本は「木の文化」であり、それを可能にしたのは日本が森林列島だったからだ、とします。国土の60%以上が森林、そのような国は、北欧のフィンランド、スウェーデン、ブラジル、マレーシア、インドネシア、ぐらい。日本は雨量も多く森林の育成が早い。

日本では植林が本格的に始まったのは、江戸後期のことだそうです。これは意外でした。幕府が「造林令」を出し、造林奉行から各地の代官所を通じて植林が奨励されました。

戦後、全国的に植林が進められたのは、建築材の需要が急増し、天然林の伐採と同時に生長の早いスギの植林が行われました。スギは、陰地に適した樹木であり、20年~30年のうちに伐採・供出するもくろみだったようですが、1964年に木材輸入自由化から、海外から安価な洋材が大量に入ってきました。その結果、スギが伐採されず花粉症で苦しむ人が増えました。

著者は行事についても述べます。「かつて、正月とは、12月半ばから1月半ばまで、すなわち、大晦日もしくは元旦に歳神を迎えるという最も清浄な行事をはさんで、前後約半月づつの1ヶ月をいったのである。江戸の武家社会や町人社会では、正月7日までを松の内というようになった」

「年玉は、歳神が配するおかげを意味した。歳魂(歳神の分御魂)。それゆえ、かつては年玉として、小餅が配られていた」

写真の夏越の行事の「茅の輪くぐり」について、「かつて、人々は、高温多湿な夏を迎えるにあたり、なによりも疫病の流行を恐れた。それを茅の輪をくぐることで防ぐ」「昨今は、神社や仏寺の行事として催されることが多いが、村落の入口でも行われていた」

祭礼については大都市と農山漁村での違いに述べます。「大都市においての疫災は、火事であり伝染病であった。農山漁村での疫災は、凶作であり不漁であった」「大都市での最大の祭礼は、夏まつり。対して、農山村でのそれは、春まつりと秋まつり」

これは実感します。田舎で夏に行うのは、先祖の霊を迎え、そして送る旧盆と盆踊り。まつりは、春と秋です。夏の暑い最中のまつりには、今も何かしっくりこないものがあります。

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