競技的デッキビルダー論、強くなるというよりは弱いまま勝つ方法

「自分は対戦よりもデッキを作ることが好きなんだ」
そういうと、競技勢とかガチ勢みたいなものより、カジュアルに好きなデッキを作ることが好きなんだと勘違いされることがある。

違う。私の中でデッキは勝つために作るもので、最高に楽しい。達成感もある上に簡単だ。Tier1のコピーで勝つのは難しくて面白くない。

この記事の目的は勝つためにデッキを作る、考え方やその方法論を伝えることだ。

断っておくと、私は随分カードゲームに対する捉え方が変わっているようだから、そのまま参考にできる部分は多くないかもしれない。しかし、だからこそ一見競技に向いていないプレイヤーが勝つためにプレイする楽しさも伝えられるだろう。

強くなるのを諦めたプレイヤーにも是非読んで欲しい。勝負師として向いていないと自覚のある私の勝つための考え方である。

カードが得意とは何だろうか

昔は自分はカードゲームが得意だと思っていたが、自分は対戦になんかまったく向いていないと考えを変えた。

小学生から高校生ぐらいまでずっとカードをやってずっと8割以上勝っていた。カードしかやっていない不真面目な18歳だった私がいろいろあって真面目に勉強しようと思ったとき、MTGはやったことすらなかったが、まあ勉強してみてうまくいかなければMTGプロになろうと思っていた。プロとして生計を立てている人がいることを知っており、自分がなろうとすればなれないわけがないと考えていた。それぐらいカードでならどこでもやっていける自信があった。そしてまた色々あり、実際にMTGプロになった。5000万人の頂点の24人、Magic Pro Leagueだ。

プロカードゲーマーになるまでにいろいろあった話は以前書いたところ沢山の反響をもらったもの(を誤って消して再投稿したもの)があるので、自己紹介代りに読んでいただけると嬉しい。

さて、一旦大好きだったカードを離れ、大学で少し真面目に勉強してから再びカードに戻ってきてかつてないほどプロプレイヤーとしてコミットしてそこでようやく「カードゲームが得意ってどういうことだ?」と疑問に思った。

私は勝負強いとか、抜け目がないとか、そういう人間では断じてないのである。よくうっかり見落としや忘れ物をする。緊張したり勝ちたいと思うとパフォーマンスが著しく落ちる。競ってきた他のプレイヤーを見ると、はあ、うまいなあ…敵う気がせんわ…と思う。しかし、「世界を知って自分の無力を実感した」みたいなありがちな自信喪失も別に全くしていないのである。確率のばらつきはあれど、なるべくしてなったというか、相応の確率で自分はプロになれる人間だったという自信は全くゆらいでいない。

高校生のとき私はカードは論理と数字で詰めていくゲームだと思っていた。勉強なんか全然せず名前を書けば行ける高校に行っていたものの、確率の問題だけは見ればすぐ解法がわかったので、そういうことなのだろうと思っていた。自分は数字に強いからカードで強いのである。しかし、学業と研究でしっかりと自信を砕かれ、自分は世界で見れば全然数字に強くなんかないんだということを実感した後でも、カードへの自信は全く砕けなかった。そのときは自分でもなぜかわからなかった。しかし、お山の上の大将をしていた高校時代とは違い、相応の強豪たちと切磋琢磨するうちに自分がカードゲームを好きなあり方や、カードゲームを得意であるという性質が随分と他人と異なることに気付いた。別に私は論理や数字で勝っているわけではない。私はカードゲーマーの中では論理や数字をだいぶ詰めるほうではあるが、それでも目に見えるような差が出るようなことは滅多にない。それよりは、他人とは違うものを見て、違うところで戦っていたことに気づいた。

勝者のゲームと敗者のゲーム、過程と結果

私のやり方や考え方の違いは二つの側面から説明できる。

一つ目はゲームの性質である。二つの性質のゲームについて考えよう。アマチュアテニスは敗者のゲームであるらしい。敗者のゲームとはつまり、どちらかが敗者になることでゲームが決まるということだ。アマチュアテニスはどちらかのプレイヤーがミスをして得点が入るのが大半である。よってこのゲームに勝つにはミスをしないよう気を付けていればそれでよい。それに対してプロテニスは勝者のゲームだ。単調に球を打ち返していても相手はうまくてミスをしてくれないものだから、優れたプレイをしたプレイヤーが勝者となりゲームが決まる。

玉石混交なプレイヤーの中で敗者のゲームがされているのはTCGも同じである。強いデッキをミスなく回せばすぐに勝率は上がるだろう。テニスと違うのは、勝者のゲームをするフィールドに上がっても勝者のゲームができるとは限らないことだ。確率的に手札が与えられ、比較的少ない選択肢の中では結局敗者のゲームの延長にあるような、どれだけミスをしないかというゲームがされることが多い。勝者のゲームと言えるようなファインプレイをする機会はそもそも来るかわからない。

しかし対戦をすることだけがカードゲームではない。デッキを作るところからがカードゲームである。対戦の選択肢に比べ、デッキを作る選択肢は無限にある。いや、無限ではないのだが、2000種類のカードから60枚のデッキを選ぶパターンなんかは数が多すぎて全部検証することなんかできないので、ちっぽけな我々人類からすれば無限のようなものである。試しきれない試行がある、つまり、現在選ばれている選択肢が最善のものとは証明のしようがない。そう、勝者のゲームをできる可能性がいつもあるのだ。

強い相手を想定するのであれば、勝者のゲームで勝つことは遥かに簡単である。ミスを減らす戦いは過酷だ。ミス率が完全にゼロ%になることなどはありえない。だから必死で練習してミスが半分になって、それと同じだけ練習してもう半分、と終わりのないうえに練習対効果はどんどん減衰する取り組みである。しかもその上からランダム要素で負けることも多い。ことMTGにおいてはランダム要素が大きい。強くても勝率70%程度の世界である。

それに対して、勝者のゲームに勝つのは楽なものだ。無数にある選択の中から誰も気づいていない何かに気付けば一気に勝率はぐんと上がる。それこそ、うっかり者の私が対戦で少なくないミスをしながらも登ってこれたようにだ。

次に、過程と結果についてだ。私の勝ちたいはマジョリティの勝ちたいとは大きく性質が違った。これに気付いたのは勝ちまくっていた2021年、プロになるまでに印象に残ったエピソードを聞かれる機会があった。同じくデッキを作るのが好きな友達と夜中に大笑いしながら、どうしてうまくいくと思ったのかさっぱりわからないようなクソデッキを作っていたエピソードを話したのだが、どうやら期待されたものではなかったらしい。大事なイベントのバブルマッチで勝った瞬間とか、プロ入りが決まった瞬間とか…らしい。正直言って特になかった。確かにそれらの瞬間は嬉しかったが、なんというか期待されているほど感極まったりはしなかった。

私は世界のどこかにあるかもしれない、よりよいデッキを作るというパズルゲームとしてカードゲームを楽しんでいる側面が強い。勝つと嬉しいのは、勝ったことそのものよりも、自分が立てた仮説が正しい可能性が増したからだ。勝ちそのものには大して興味がない。

一度一度の勝敗への無執着は、デッキビルターもといパズル解きマンとしては長所である一方で、競技者としては短所でしかないと考えていた。しかし、そうとも言い切れないようだ。欠乏の行動経済学という本によると、
プロのバスケットボール選手ですら、3ポイントよりもフリースローを外すプレイヤーがいるらしい。結果へ執着し意識が行くとパフォーマンスの低下を起こすことがある。淡々と対戦をこなしてデッキをよくすることを楽しむ取り組み方にはメリットもあるようだ。競技者らしくないからこそ競技に適した面もある。

前回の記事が敗者のゲームで効率よく敗者でなくなる方法であったなら、この記事は勝者のゲームに勝つための方法である。

デッキを作るのが最強のソリューション

デッキビルダーになりたい人はもちろん、そうでない人も部分的にビルダーの視点をインストールすることは有用であると確信がある。デッキビルダーの視点は人を勝てるようにかつプレイ体験を楽しい豊かなものにしてくれる。

理由はざっと4つ。
・楽しい
・すぐに勝てるようになる
・ずっと勝ち続けられる
・自分より強い相手に勝てる

デッキビルダーとして競技に取り組むことの一つ目のメリットは楽しいことだ。「勝つと楽しいが勝てなければ楽しくない」という人はよくいる。しかし、勝つことではなく最強のデッキを見つけることを目標にしていれば、ゲームの目的は勝つことではなくよりよいデッキを作るための発見をすることに変わる。楽しさを他者や運に依存する割合が減るから一喜一憂することなく穏やかで楽しいゲームライフを送ることができる。

二つ目のビルダーの視点を持つと短期間でプレイが習熟すること。「プレイの一貫性が大切」とよく言われる。ある勝ち筋に向けてプレイしていたはずが、別の勝ち方に向いたプレイをしてどっちつかずになってはいけない。選択はデッキに入れるカードを入れる段階で既に始まっている。デッキを選ぶことは初めにある選択である。デッキをコピーするということはその選択の過程をスキップしたうえで続きの一貫性を持った選択を試みることに他ならない。どんなデッキが一番簡単か?自分で作ったデッキだ。全てのカードに対してどういう意図で入れたかを知っている。その通りにプレイするだけで一貫性のあるプレイができる。デッキを作る段階からゲームを見ることで太い一貫性ができる。

三つ目のメリットはデッキ作りのためにした努力は無駄になることが少ないことだ。TCGではカードプールや流行により刻一刻と求められる技術が変化していく。そのような状況で具体性の高いこういう状況でAとBだとAから出すというような知識を蓄積しても、長期で見ると意味はない。個々の知識の抽象度を上げたり、その発見に至るための方法論という形で蓄積してこそ長期で意味のある蓄積になる。はじめにあるデッキ構築からプレイという大きな対象を扱うには、抽象度が高い段階へ考えを進める必要がある。こうして得た知識はこれからもずっと使えるものだ。

最後に、二度目になるが勝者のゲームに勝てること。このゲームでは大逆転がありうる。ミスをどれだけしないかのゲームでは、自分より練習してきた相手、勝負に強い相手に勝つにはほぼ全てを運に委ねるほかない。しかし、足し算のゲームではそれを覆すほどの発見がありうる。誰々には勝てないなんて諦める必要はない。可能性はある。デッキを作れ。

デッキを作るためのフレームワーク

デッキを作って対戦する。本理論ではこの中で作ったデッキは仮説作ったデッキで対戦することは検証と捉えている。

いわゆる練習は検証の部分だ。コピーデッキを使うことはいきなり検証の段階をやることと見ることができる。これに関しては以前書いた練習論を参照いただきたい。

本記事では仮説の部分、どのようにデッキアイデアを作るかとそれを検証する方法を中心に述べる。PDCAで言えば前回が「P終盤~C序盤」、今回が「P序盤、C終盤~A」である。

また最後にビルダーとして競技を楽しむ精神論についても述べる。最も再現性がない部分であるとは思うが、楽しさ、上達効率、勝率など総合的にもっともよく楽しむために多少は参考にしていただけるのではないかと思う。

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