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三日坊主日記 vol.128 『車と修理と宗教観と』

先日、車がヘソを曲げてしまった。

次の日、どうしても車で出かけないといけない用があったので心配したのだけど、その日はエンジンONもエンジンOFFも全く問題なくスムーズにできた。まるでトラブルなんてはじめから無かったかのように。出かける前に強く願ったので、きっとそれが叶ったんだと思う。


その翌日(昨日)は、特に用がなかったので車を使うことはなかった。そして今日。トラブルはいっときの気まぐれで、もう症状なんて出ないんじゃないか。もう直っているんじゃないか。と淡い期待をして出かけたが、意に反して症状は出た。


強く願った日には嘘のように症状が出ず、そうじゃない日にはあっさりと症状が出てしまう。何だかとても不思議ではないか。


単なる偶然かも知れない。ただ、僕に関して言うとこういうことがよくある。いや、それは偶然が何度も重なっただけだろうと言われるかも知れない。しかし、どうしても単なる偶然だとは思えないし、思わない。


残念ながら、これは自分に特別な能力があると言いたいのでは全くない。僕には特別な能力どころか、普通の能力さえ人並みにあるかどうかも怪しいと思っている。しかし、困った時やどうしても何とかしたい(して欲しい)時には強く願う。そして強く願うと、それが叶うことが多い。


そこには、何か人間には見えない大きな力が働いているのではないだろうか。ご先祖さまか神様かは分からないけど、誰かがどこかで見てくれている。力添えをしてくれている。としか思えないことが起こる。


もちろん、叶わないこともある。もしかしたら、実際にデータをとるとほとんど叶ってないのかも知れない。けれども困ったことがあれば願う。叶うと信じて願う。そうすると、やはり多くのことは叶うのである。と、ここまで書いてふと立ち止まる。


これってもしかしたら、とても自分勝手な考えなのだろうか。どこかで自分を万能だと思う、とても横柄で横暴な考え方なんだろうか。いやいやそんなことはなくて、逆に自分の弱さが出ているんじゃないだろうか。他力本願というか、依頼心が強いというか、最後の最後は自分で考えることを放棄し、誰かに委ねてしまっているんじゃないのか。


ちょっと冷静になろう。
僕は一体何を書いているんだろう。
どうして車の故障から人生観とか宗教観の話になるんだろう。


いや、とにかく、今日は目的地に着いてもエンジンは止まらず、仕方がないのでエンジンが掛かったまま約一時間の用を済ませた。そして、その足でディーラーへ駆け込んだ。メカニックが頑張ってくれたけど結局キーが元通りに回ることはなく、キーシリンダーは無惨にも破壊され、車はそのまま入院することになった。という話。


もう二度と症状が出ませんように、と強く願っておけばよかった。



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