まき

東京外国語大学の4年生です。 9月からアフリカ縦断の旅をしています〜

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東京外国語大学の4年生です。 9月からアフリカ縦断の旅をしています〜

最近の記事

3ヶ月ぶりの。

 お久しぶりです。どんな人が読んでくれているか分からないけど、今までの文章を読んでくれた方々、こんな拙文を読んでくれてありがとうございます。  さあ、3ヶ月もnoteをサボってしまいました(笑)そして帰国してから、1ヶ月経ちました。これを書いているということ、帰国しているということは、無事にアフリカ縦断を終わらせ、日本に帰国出来たといいうことです。両親や現地でお世話になった人たちに感謝。  まあ要約すると、あれからキリマンジャロに登頂して、エチオピアのラリベラっていう雰囲

    • 障害者の“いる”街

       今日、とても不思議な時間を過ごした。肢体不自由の現地人と数時間一緒に過ごしたのだ。おしゃべりしたり、浜辺を散歩したり、一緒に泳いだり。おしゃべりといっても、相手は十分に話せず、なおかつスワヒリ語メインなので、お互いにボディーランゲージとその場のノリで話している感じだけど(笑)  何が不思議だったかっていうと、彼を取り巻く「ケア」の環境が出来上がっていたこと。日本のようにご立派な社会福祉制度、つまり障害者年金はこの島には存在せず、障害者雇用なんてある訳もない。つまり彼は日々

      • 警察とマフィアに絡まれた話(後編)

         国境の警察やセキュリティと言い争いをし、まともなご飯も食べれずに車の中で一夜を過ごした翌朝、私たちはボツワナのハボロネにある日本国大使館に電話をした。大使館が個人旅行者のために出来ることにも限界があることを知っていたし、何か自分たちのために有効なこと(例えば解放など)を命令する権限がないことなども知っていたが、ただただ日本人にすがりたい、助けてもらいたい、自分たちより現地に詳しい、かつ優秀な人たちの意見を仰ぎたいと思い、どうにか救って欲しいという一心で電話をかけた。  電

        •  警察とマフィアに絡まれた話(中編)

           自分たちを追ってきていた青い光はこの国の警察だった。パトカーが2台、もの凄いスピードで自分たちの車を追ってきていた。パッシング(ライトの点滅)を何度もされ、終いには並走されて「今すぐ止まれ!」と言われた。自分たちの興奮状態はピークまで達していた。ただでさえ国境のセキュリティから逃げて興奮しているのに、次は警察が現れた。興奮と緊張と恐怖と、さまざまな感情で押しつぶされそうだった。  私たちは一度、指示に従って車を路肩に停めた。だが「このまま停まったらあいつらの思う壺だ!いま

        3ヶ月ぶりの。

          警察とマフィアに絡まれた話(前編)

           人生で初めてパトカーに追われ🚐💨🚓💨 警察に拘束され🚨👮‍♂️ パトカーに乗せられて連行された🚔  どんなことが起きたのか詳しく話そう。自分たちは南アフリカ🇿🇦からの出国を無事にすませて、次なる国であるボツワナ🇧🇼への入国手続きをしていたところだった。自分たちの車は電気系統に問題が生じて右後ろの窓が閉まらなくなってしまっていたので、荷物が盗まれないように自分1人だけ外に残って車を監視していた。  残り2人が無事に手続きを済ませて、みんなで車に乗り込み、「いざ出発!」とい

          警察とマフィアに絡まれた話(前編)

          My new gear (ランクル80)

           前の前のnoteで書いたスイス人のパトロン、サージのところへ車を受け取りに、ナミビアのウィントフックから南アフリカのケープタウンへ。20時間以上のバス移動だったので、2日に分けたとは言え流石に身体にきた。しかも到着地がまさかの、アフリカ到着初日でGoProを盗まれた場所だったので、余計に精神的に疲れを感じた。  ケープタウンに向かう道中ずっと、砂漠で故障した自分たちの車のことを考えていた。3人でお金を出し合って買ったJEEP CHEROKEE は結局、投資した10分の1以

          My new gear (ランクル80)

          スーパーおばちゃん

           最近、すごい方とお会いした。石井さんという60代くらいのおばちゃんだ。北欧で日本酒の輸出入の事業をやっている人がナミビアにいるという話をJICAの方から聞いて、興味を持ち、連絡先を教えてもらい、すぐに会えないか連絡したのだ。 お会いしたらものすごーくパワフルな方だった。10年前まではUNDP(United Nations Development Programme)、国際連合開発企画で働いていて、引退後はノルウェーへの日本酒輸出事業と各国の大使館での草の根事業(2020年か

          スーパーおばちゃん

          ケープタウン在住のパトロン

           何とかヒッチハイクしてウィンドフック(ナミビアの首都)まで向かおうとしていた自分たちはガソリンスタンドで砂漠から首都まで向かう車を探していた。残念ながら話しかけた人のほとんどは予定がまだ残っていて帰れない人や車のスペースに余裕がない人などだった。その中で1人、乗せることはできないが、自分たちのことを心配して、話に付き合ってくれ、ナミビアに詳しくコネが多くある人を紹介してくれた人がいた。ハンサムなパパって感じで、とても余裕のある感じの優しいナイスガイだった。その人は今まで色ん

          ケープタウン在住のパトロン

          絶望から希望へと変わった1日

           前回のnoteで書いたように、自分たちの車は砂漠のど真ん中で砂にはまって動けなくなってしまった。その後、現地のガイドに助けてもらい、無事に砂漠から抜け出すことが出来た訳だが。  またもや車が壊れてしまった。自分たちも途中から気付いていたのだが、何かしら怪しい液体が漏れていたのだ。ボンネットを開けてみるとシリンダーヘッドのカバーにヒビが出来ていてオイルが噴き出して漏れてしまっていた。さらには無理に走らせてしまったことでエンジンのタイミングチェーンと近くのバルブリフターがイカれ

          絶望から希望へと変わった1日

          砂漠、星の下で。

           いま砂漠のど真ん中、満点の星空の下でこのnoteを書いている。車の屋根の上で寝ているので、星がとても綺麗だ。最近、視力が悪くなったかなと思う。どうせなら2.0の視力でこの満点の星空を拝みたかった。  この文章はもしかしたら自分がこの現世に残せる最後の文章になるかもしれない。これは半分くらい冗談で半分くらい本気だ。というのも自分たちの車が砂漠のど真ん中ではまってしまってい、動けなくなってしまったのだ。「道なき道を通ろう!」とふざけていたら、タイヤが砂に巻き込まれてしまい、車が

          砂漠、星の下で。

          日本の小学校教育に少しだけ楽観的になった話

           つい先日、JICAの方々と一緒にナミビアの北の方へ旅行をする機会があった。そこで御一緒した方々の1人は日本で特別支援学校の先生を、後の4人は小学校教員をやっており、ナミビアではそれぞれ障害者教育と算数・数学教育をボランティアとして行っていた。  JICAのことは、日本に2つしかない訓練所のひとつが地元の二本松市にあることや、自分も昔からそのような活動に関心があったことから認識はしていた。しかし、実際にボランティアとして現地で働く人とちゃんと話したのは今回が初めてだった。  

          日本の小学校教育に少しだけ楽観的になった話

          密かな夢

           最近、目標が出来た。今まで、漠然としたいこととかはあったけど、具体的にあれがしたいとかこれがしたいとか、そういうのは無かった。だから、大学を卒業した後のこと、つまり就職やこれから働くことについても億劫で、自分が何をしたいのか分からずにずっといた。でもそんな自分にも最近「やりたいこと」が出来たのだ。  それは南アフリカの剣道レベルを底上げし、代表チームが欧州大会や天狗カップでも勝てるようにすることだ。先生となって教えるというよりは一緒にやって強くなって行きたい。なぜなら自分は

          密かな夢

          自分が落ち込むとき

           日本にいる時よりも自分のことを客観視出来ているような気がする。その中でも最近、自分のことに関して気が付いたことが、「自分がどんな時に落ち込むか」だ。これを読んでいる人も自分自身がどんな時に落ち込んでいるか、考えてみて欲しい。親や先生に怒られた時、自分が思ったように上手くいかなかった時、好きな人に振られてしまった時など。人によって様々だと思う。もちろん自分も誰かと衝突したり、誰かに嫌悪感や明らかな悪意のようなものをぶつけられたら落ち込むだろう。しかし、それよりも自分を落ち込ま

          自分が落ち込むとき

          備忘録

           この前のnoteでも書いた釣具屋さんに今日も行ってきた。自分の釣竿に合ったリールを買うためだ。それとこの前、色々と教えてくれたおじいさん(陰で勝手に「師匠」と呼んでいる)に会うため。  ところが釣具屋にいくと、おじいさんではなく若いお兄さんがいた。息子さんかお孫さんだろうか。モジモジしていると、「どうかした?」と聞かれたので「おじいさんいますか?」と聞いたら、このまえ修理の様子を見せてくれた工房に連れて行ってくれた。おじいさんがいた。おじいさんが嬉しそうな顔で出迎えてくれた

          備忘録

          涙そうそう🎋

           今日、夕飯の買い出しに一人で来ていたら、何やら外で黒人の兄さんが騒いでいるので「何だどうしたんだ」と車の窓から聞いたら、サトウキビを買わないかと。目の前で食べているところを見せてくれて、味見もさせてくれた。  実はサトウキビを食べるのは、日本にいた時から密かに憧れていたことだった。沖縄に行ったら食ってやるんだと言って、沖縄にずっと行けておらず、まさかアフリカで初めて食べることになるとは。  結局、サトウキビ4本ぐらい買って部屋まで持って帰った。ルームメイトには少し馬鹿に

          涙そうそう🎋

          トラブルってのは案外悪くないかもしれない

           旅が始まってからトラブル続きだ。特に旅で使う車のことに関しては全く頭を悩ませてばかり。当初、1人あたり20万円と見積もっていた予算は、車の修理費(2度の修理に加えてエンジン総取っ替え)が嵩んだことで1人あたり35万円にも膨らんでしまった。  でもトラブルがあったことで良かったことも沢山ある。本当であれば南アフリカは1ヶ月以上前に出発し、他の国へと移動していたが、トラブルがあったことで約2ヶ月半も滞在することになった。これによって主に3つの経験が出来た。  一つ目は異国に住む

          トラブルってのは案外悪くないかもしれない