『大手通信企業を辞めてスナックのママに』大きな決断理由とは
2023年2月に街中スナックARAKAWA LABO店のママになった田中希帆さん。30歳手前の社会人7年目、今後のキャリアをどう築いていくのか思い悩んでいた最中、街中スナックのママになることを決断したという。そこにはどのような経緯と想いがあるのか?インタビュー形式でお届けいたします。
競泳が生活の中心だった学生時代
___ 田中さん、インタビューよろしくお願いいたします。
田中:はい!よろしくお願いいたします。
___ 早速ですが、どんな幼少期を過ごしてきたのかお聞きしてもよろしいでしょうか?
田中:そうですね、一言でいうと「競泳漬け」の毎日を過ごしていました。
___ えっと・・・キョウエイとは?
田中:あ、タイムを競う水泳のことです!(笑)
___ なるほど、そのことですね!何歳の時からやってたんですか?
田中:小学校1年生の時からやってましたね。元々3歳から通っていたスイミングスクールの先生から、選んでいただいたのがきっかけです。
___ってことは、もっと前から水泳は習ってたんですね。ちなみに、競泳漬けというのは結構ガチガチにやられていたんですか?
田中:はい、ガチガチに本格的にやってました!(笑)小学校1年生の時から週に5回、中学生からは週に6〜7回以上泳いでましたね。
___ 週に6、7回・・・それはもう習い事ではないですね(笑)
田中:本当にそうですね(笑)習い事の感覚ではなくて、その当時の生活の軸でしたね。
___その中でいい実績を出したご経験もされたのでしょうか?
田中:小学校3年生の時に初めて全国大会に出場して、それから競泳を一区切りつける高校3年生まで毎年全国大会には出ていました。
___素晴らしいですね。ちなみに、田中さんはどんなタイプの選手だったのでしょうか?
田中:そうですね、一言で言うと遅咲きタイプですかね。小学3年生から高校1年生までは全国大会には出場するものの、決勝に進むことは出来なくてそれ止まりだったんです。その後高校2年生の時にようやく咲き始めて、念願の全国大会入賞をすることが出来ました。2010年に行われた千葉国体の決勝で、思いっ切り気持ちよく泳いで5位入賞した時の喜びやワクワク感は、今でも鮮明に覚えています。
___それは、すごい。貴重なご経験ですね。その後、高校を卒業されてからの大学時代はどんな風に過ごされたのでしょうか?競泳は辞められたんですよね?
田中:そうですね。高校3年生の結果がきっかけで、大学では競泳を一旦退くという決断をしました。
___ それは、思うように結果が出なかったとか?
田中:まさにです!(笑)高校2年生で納得いく結果を出しましたが、3年生ではその先にある目標には届かなかったんです。そこで大きな挫折も味わいました。加えて、とある大学のスポーツ推薦入試も落ちてしまって。結局、勉強をして一般入試に切り替えるしか道がなかったと言うのが実情なんです。それらがきっかけで、選手生活からは一線を退いた大学生活を送ることに決めました。
自分の世界が一気に広く大きくなった海外経験
___そうだったんですね。大学生活ではどんな出来事が印象的でしたか?
田中:やっぱり海外経験が1番大きく印象に残ってますね。
___おお、海外経験ですか。どんなご経験をされたのでしょうか?
田中:アメリカのミシガン州に語学留学、ベトナムのハノイにインターン、ミャンマーの田舎にボランティア、他にバックパッカーなどなど・・・色々行ってきました!(笑)
___本当に色々なところへ行かれてますね、すごい。海外に興味を持つようになったのは何かきっかけがあったのですか?
田中:きっかけは、実は上戸彩さん主演の「アテンションプリーズ」というドラマなんです。あのドラマを見てから、飛行機や海外の人と接する仕事にキラキラ感や憧れを感じるようになりました。いずれ自分も海外の世界に触れたい!という想いがあったので、大学は海外に大きく踏み込んでいこうと決めました。
___実際にたくさんの海外経験をしてみてどうでしたか?どんな感想をお持ちですか?
田中:そうですね、もうとにかく世界が広がったに尽きますね。日本だけが全てではない、自分が見ている世界だけが世界ではないということに気付かされました。
___ 例えば、アメリカへの語学留学ではどんな出来事があって、そう感じたのでしょうか?
田中:現地の大学生との交流で色々気付かされましたね。例えば、現地の大学生は想像よりも勤勉で、学ぶことに貪欲な人が多かったこととか。現地の図書館は24時間開いているので、多くの学生が深夜までこもって勉強しているんですよね。
それと、自己紹介の時に話す内容もとても印象的でした。現地の大学生は自己紹介する時、「将来こんな大人になりたくて、こんなことをしたくて、その為に今これを勉強していて、、、」と話すんですよね。日本では、大学は人生の夏休みと揶揄されることもあるぐらい、時間を消費する過ごし方も珍しくないと思うんです。でもアメリカではしっかり将来のことまで見通して今を過ごしている学生が多いんだと圧倒されたのを覚えています。
そういった日常の些細な出来事でも、日本との違いをあらゆるところで感じていました。こんな風に自分が体感する経験が全て新しかったので、本当に面白かったです。
___面白い時間を過ごされたんですね。ベトナムとミャンマーでは、それぞれどんなことをしていたんですか?
田中:ベトナムのインターンでは、ハノイに本社を構える現地の通信企業でグローバル向けのPR業務に携わらせてもらいました。
ミャンマーのボランティアでは、首都から何時間も移動して、水上ボートでしか辿り着けない村に行きました。シャワーもないようなところでしたね。そこで現地の農業やインフラを整える作業をやってました。
___アメリカ留学とは全く違うご経験ですね。ちなみに、ボランティアに興味があったんですか?
田中:いえ、ボランティアに興味があったと言うよりかは海外の現地に住んでみないと分からないローカルな世界を知ることに興味がありましたね。
___となると、そのあとの就職はどちらに?海外の企業ですか?
田中:いえ、新卒では日本企業のKDDIに就職しました。一応、就職活動の軸は海外で勤務ができることでしたが、いきなり日本から離れて働く決断は出来ませんでしたね(笑)
___ そしたら、海外とやり取りをする部署などに配属されたのでしょうか?
田中:いえ、新卒で配属されたのは国内の法人営業の部署でしたね。海外向けの部署に行きたい想いは会社側にも伝えていましたが、新卒からそういうところに行くのはとても少数派だったんですよね。
___なるほど、営業に配属されてどうでしたか?
田中:元々人と話すことは好きで、物怖じをすることもなかったので、性に合っていたなと思いますね。街中スナックのママをやりたいと思ったことにも、その経験が生きてるなと思います。
___そうだったんですね。営業やられていたのは想像がつきますね(笑)その当時の社会人生活はどうでしたか?
田中:2年目までは目の前の仕事をこなすことでもう本当に精一杯でした。必死に先輩に食らい付きながら、土日も携帯を離さず、メールチェックとかタスク管理とかしてましたね。友人にも笑っているようで笑えてないよって言われたり・・・(笑)うまく行かないこともたくさんあって、帰りの電車で大泣きしながら帰る、みたいなそういう経験もしましたね。
ですが、そういった経験も結果的には実を結んで、成績は順調に伸びました。好実績案件としてポスターを作っていただいたこともあります。素直に嬉しかったですね。
仕事に対する「慣れ」が徐々に違和感へ
ただ、3年目から仕事に慣れてきて、必死に頑張るとか自分の成長を必死に追うという感覚がどんどん無くなってきてしまったんです。
___ 田中さんはママをやる前に独立をしてご自身でお仕事をされていたと思うのですが、その出来事が独立に繋がったんですか?
田中:そうですね、その慣れからこのまま惰性で仕事をしていってしまう未来が垣間見えてしまったんです。その未来に向かってこの先何十年も仕事をすることを考えた時に、シンプルにつまらないなって思いました。もっと自分の力を試して、もっと色んな経験を積みたくて、慣れている世界から出ようって考えましたね。
___田中さんらしい気がします。実際に独立をしてからはどんなお仕事をしていたんですか?
田中:独立してから1年間ほど営業代行の仕事をメインでやっていました。サービスを持っている法人と業務委託契約を結んで、そのサービスを代行で販売すると言う感じです。
___そこから、街中スナックのママになることになったんですよね?
田中:はい、そうですね。
街中スナックのママになることを決断した想い
___1番気になっていた質問ですが、なぜ街中スナックへ?
田中:そうなりますよね(笑)直感的にここで自分を発揮したい、そして自分のキャリアを構築したいと思ったからなんです。
これからの30代以降の自分を描けない不安と焦り
実は威勢よく独立したものの、KDDIという大きな組織から出て自分自身でキャリアを築いていく中で、結局ずっと半年〜1年先のことしか考えられなかったんですね。この後に続く30代、40代で自分は何をしていきたいのかが見えてこなかったんです。29歳になったタイミングで、その状況にかなり焦ってて。そのタイミングでたまたま田中類さんとお会いをしました。街中スナックのことを少し聞き始めたら、どんどん興味が湧いてきて、もう根掘り葉掘りたくさん聞かせてもらったんです(笑)
自分を活かせること、そして自分と社会の未来に繋がること
そこで、直感的にイイ!と感じました。自分の得意分野であるコミニケーションを生かせるということ、そしてもうひとつ、自分のキャリアの積み上げも社会のより良い未来の構築も出来そうという可能性を感じたということが街中スナックに携わりたいと思った大きな理由ですね。
___ そういう経緯があったんですね。その決断力がすごいです。ちなみに、社会人を6年ほど過ごした後に飲食店で働くことに対してはどう感じますか?飲食にうつる人はごく稀かなと思いまして。
田中:そもそもですが、「街中スナックで働く」ことを「飲食店で働く」と捉えていないんですね。「街の仲良しを作る」という人のつながりを生むために、スナックを手段にしている場所だからかも。新しいお客様がいらっしゃって、また新しいつながりが生まれるところを間近で見て、それを一緒に喜べる瞬間がとても面白いなと感じています。
___ なるほど、確かにそうですよね。おっしゃる通り街中スナックは街おこしや街づくりというコンセプトが軸にありますが、今までの経歴の中にそういった活動はなかったと思うのですが、そこには抵抗はなかったですか?
田中:抵抗というものは感じていなかったですね。正確にいうと「分からない」って言うのが本音です。街づくりってとても抽象的な概念だと思うので。何を成し遂げたらそれになるのか?っていうのが曖昧でよく分からないなと感じてましたね。
実際にお店に立ってみて、どう感じているか
___ そういう考えがあったんですね。実際に1ヶ月半ほど働いてみて、どうですか?
田中:まず、とても楽しいです。この道を選んで良かったなと感じています。
___ 具体的にどんなところでそう感じてますか?
田中:そうですね、理由は3つあります。
まず1つ目は、ママとお客様、お客様とお客様、お客様と街っていう風に様々なつながりがこの街中スナックを中心に生まれていくのがやっぱり面白いなと感じます。街や社会に貢献出来ていることを間近で感じ取れるところが私を含むママやマスターたちの働き手の充足感に確実に繋がっていますね。
そして2つ目は、ママとしてお客様や街と接する時に、自分のコミュニケーション能力や今まで培ってきた人生経験をフルに活かすことが出来ているなと感じられるところです。
最後3つ目は、売り上げや利益等のお店の数字管理をしているのですが、ビジネス的な視点や感覚を学びながら実践していくことで、自己成長を得ることができる部分ですね。
___素晴らしいですね。では逆に苦労しているところは?
田中:んん、それは2つですかね。
1つは、街づくりや街おこしの視点や知識、経験がまだまだ未熟なので、どう養っていくのかというところ。
もう1つは、お店の数字管理とそれに対する責任についても未熟な部分が多いので、そこもいち早く成長していきたいところですね。
今後の目標、そしてこれから仲間になるママ・マスターたちへ
___なるほど、明確ですね。最後に、ママとして目標や理想があればぜひ教えて下さい。
田中:そうですね、ARAKAWA LABO店のママとしての目標は、お客様がお店に来たい理由になること、そして、今日お店に来て良かったと思う理由になることです。
街中スナック全体の視点で言うと、全国各地にいる他のママやマスターの育成に尽力していけるようになりたいと考えています。
___応援しています!そして本当に最後です。もしこれからママやマスターをしたいなを考えている人がいたら、どんな言葉をかけますか?
田中:ぜひチャレンジしてみて欲しい!とかけますね。街中スナックのママやマスターは、ご自身の今までの人生経験が全て力になるし、お客様に提供できるコンテンツになる。今までの人生を全て生かしていけるお仕事なんですよね。それがお客様にとっては新しい気付きになったり、癒しになったりする。そして、思いもよらないつながりが生まれるきっかけにもなれる。すごく面白いですよね。加えて、今の社会問題から店舗運営にまつわるビジネス的な視点まで学んでいけます。今後のキャリアや人生にも必ず生きるヒントや情報があると思いますよ。ぜひ、お待ちしております。一緒にがんばりましょう!
___頼もしいメッセージをありがとうございます。インタビューは以上になります。ありがとうございました。