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他者をジャッジする人は、自分を苦しめる

ようやく映画「ミッションインポッシブル」を見てきました。
ハラハラ、ドキドキで楽しいは楽しいのですが、時折「何か引くわ〜」とジャッジしている自分がいました。


〇ジャッジの正体

そもそもですが、私はトムクルーズの大ファンです。
直接会ったことがあり、その神対応に心を鷲掴みにされました。(その話はまた今度♡)

それなのに今回新作をを見ながら「うわー、トムクルーズ…やりすぎ」と引いている自分がいました。

スタントなしで、すべて本人が演じているので、心配になってしまう!というのもあります。
何でも自分でやる。そこが彼のスーパースターである理由ですが。

これもノーCG、ノースタントです。

彼は好きだし、すごいんですけど、もういいよと思ってしまいました…

まず、ジャッジは私自身の問題です。

トムクルーズは現在61歳。“還暦も過ぎているんだし、そんなにアクションしなくていい“という、思い込みがあります。

本人はやりたいからここまでやるのに、私は「そこまでやらなくていいよ」と思ったのです。
カーアクションも「もうたくさん見たからいい」

太もも高く走り抜けているシーンも
「トム、そんなに走らなくていいよ」

若い女性との恋が生まれるシーンも
「年齢差が、、不自然だからなくていい」

などとジャッジしている自分がおりました。

すべて、こうあるべき、という思い込みです。

この考え方は、自分自身を苦しめます。生きづらくなります。


〇“こうあるべき“は、勝手な押し付け

自分のキャパシティの狭さを実感しました。

・トムクルーズは、全力疾走しなくていい
・若い女性との恋物語は、描かなくていい
・カーチェイスは、もうたくさん見た
・還暦過ぎた人が、アクションそんなにがんばらなくていい

そんなふうに勝手に思い込んでいます。

これはつまり
・還暦過ぎた人が、全力疾走すべきではない
・恋は、年相応の相手であるべき
・カーチェイスは、減らすべき
・もうアクションはやめるべき

大好きなトムクルーズが、ディレクターとしても参加している映画に、自分の価値観を押し付けまくった結果です。

そして気づきました。
私って、こうやってジャッジし続けているなぁ、、、、


〇日常的なジャッジ

自分はジャッジされたくないのに、他者をジャッジしている自分に気づきました。

例えば、
「あんなおばあさんが、短いスカートを履くべきではない」
「お笑い芸人が、ムスッと仏頂面しているべきではない」
「店員なら、わかりやすく説明すべき」

こんなふうに、日常的にジャッジを繰り返しています。
これは自分の生き方においても、選択肢を狭めます。

例えば、年をとってスカート履きたくなっても「履くべきではない」という自分の声でやめるでしょう。

ジャッジは、自分を苦しめます。
他者に求めるように、自分自身へのジャッジも厳しくなるからです。

世間では
「結婚しているなら、不倫はするな」
「コンプライアンスは守るべき」
「政治家の失言は、失職すべき」
などと、ジャッジ大国になっています。


◯オリラジ中田VSダウンタウン松本

少し前に、この2人が話題になりました。
YouTubeでオリラジ中田さんが、ダウンタウン松本さんをジャッジしました。

「お笑いの審査員やりすぎ」
「権力化している」

言葉の攻撃で、松本さんが傷ついているであろうことが想像できました。

結果、オリラジ中田さんは、多くの芸人さんから逆にジャッジされる側になり猛攻撃を受けました。

仲間に嫌われて、苦しい立場を自分で作ってしまいました。
ご自身でも、生きる世界をより狭くしています。

【他者をジャッジしすぎると、自分が苦しくなる】と思い知った出来事でした。

他者へのジャッジは、緩めていきましょう!
自分の人生のために!です。



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