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一人称、二人称、三人称としての私。

医師は、患者さんの前で、一人称でしょうか、それとも二人称もしくは三人称でしょうか。
一般的に、一人称が私、二人称があなた、三人称が他人と定義されます。
医療現場に置き換えると、患者が一人称ならば、家族が二人称とされることが多いようです。となると、医師は三人称、つまり他人でしょうか。
医師は、患者にとっては間違いなく他人です。しかし、病を通じて患者の物語に関わるとき、単なる他人とは思えない局面も少なくありません。
医師は患者にとって何人称であるかを考えることを通じて、患者との距離感について考察してみます。
 

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初子さんが横たわるベッドの脇で、私は両海さんに宣言しました。
 
「だったら、ボクの実のばあちゃんだと思って診ることにしますよ」
 
初子さんは90を超える超高齢女性。肺炎で入院した際、末期胃癌が発覚。最期は自宅で、と願っていた娘(両海さん)は、心配する入院先の担当医や看護師をよそに退院を決断されました。
 
娘の両海さんは私の盟友でした。介護支援専門員で、互いに担当する患者さんの看取りも何度も経験しました。
 
初子さんの退院日、往診しました。すでに食事を摂れなくなり一ヶ月近く、顔は痩せほそり、足は低栄養のためむくみ、声はか細く、眠っていることがほとんど。死期が迫っていることは明らかでした。
 
「両海さん、残念だけどきっと三日以内ですよ。点滴もおすすめしません」
 
「先生、いつもならば、『はい、そうですね』ってなるけど、自分の親となると違うものですね。ダメと分かっていても、なんとかしたい。まだまだ長生きしてほしい・・・」
 
「ですよね。ボクが自分のばあちゃんの主治医やってたとき、癌を見つけっちゃったんです。信頼する先輩ドクターに診てもらったら、年越せないだろうって。でも、諦められなくてね。ダメと思っても、いろいろ治療しましたよ。きっと、いつものボクだったら、間違いなく緩和ケアに徹してたと思うけど、ばあちゃんのときはできなかったもの。あのときは医者というより、やっぱり孫だったんですよね」
 
いくら娘の思いが強いとはいえ、肝心の本人を苦しめてしまっては医師失格だと思い、初子さんに気持ちを尋ねました。
 
「初子さん、娘さんがまだまだ治療を頑張るっておっしゃてるけど、どうですか?もうダメ?」
 
初子さんは、思いの外の笑顔で、「まだ大丈夫」と眼で伝えてくれました。
 
話は決まりました。本人もその気で、家族もその気。だったら、頑張るしかないでしょう。ただし、頑張るとはいえ手術も抗がん剤もできません。そこで出来得る限りのお薬と注射、徹底した栄養補給とリハビリ。両海さんの献身的な介護に加え、うちのスタッフが入れ代わり、立ち代わり支えました。
 
結局、初子さんは3週間頑張りました。寝たきりでしたが、いくらか食べ、結構笑い、大いにみんなに癒やしを与えて。
 
人生最期の日。娘、そしてヘルパーや看護師が見守る中、終日閉じていた眼を大きく開け、あたりを見渡した後、静かに眼を閉じ最期の呼吸をして人生をしまいました。
 
死という結果は同じ。期間は3日間が3週間に延びた。これを単純に延命と呼ばないでくださいね。私のばあちゃんでもあるのですから。
 
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私は、初子さんを前に、限りなく二人称に近い、2.1人称くらいだったのではないかと思います。赤の他人でもないだろうし、だからといって家族ほどでもなかったですし。
 
このような私のあり方は、「患者との距離が近すぎる」と批判めいて指摘されることが少なくありません。こんな私のあり方について、過去に後輩医師から手厳しい指摘をされました。
 
「松嶋先生のあり方は危険だ。患者との距離が近すぎて、転移や逆転移のリスクが大きすぎ。最終的には患者のためにはならないですよ」
 
新鮮な指摘でした。私は、患者との距離感という視点で、患者との関係性を考えたことがなかったからです。患者に近づこうとも離れようとも意識したことはありませんでした。
 
患者との距離が近すぎると二つの問題がありそうです。一つは共感疲労、二つは関係が近いことで感情に振り回されて医学的判断を誤る。ただし、患者との距離が近いからこそ、深い共感を通じて、より最善な医学的判断や対応を導き出せることもあるかもしれません。
 
患者との「適度な距離感」の重要性をあちこちで耳にします。私はこの答えを持ち合わせていません。ただし、一つだけ大切にしていることがあります。それは、患者との間に、少なくとも私たち側から溝を掘ってはいけないこと。仮に患者が溝を掘ったのであれば、私たちは無理に飛び越えようとしてはいけない。地道に声をかけ、ノックをしながら、共同で橋をかける努力をする。私の現時点での考えです。
 
ところで、数年前、ナラティブ・メディスンのリタ・シャロン先生のセミナーが東京でありました。あまりに感動的で、終了後にご挨拶しました。「私は、2.1人称を目指して日々診療にあたっています」と通訳の方を介してお伝えしたところ、私の説明が悪かったのか、シャロン先生は、「1.2人称なんて新しいアイディアだわ」とおっしゃり、私の本にサインしてくださいました。
 
私たち医療者は、患者さんの前では何人称でしょうか。
患者さんに最善を届けるために、私は1.2人称を目指します。

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