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憧れの男@町医者エッセイ

矢兵衛さん、心から尊敬してやまない患者さんです。いや、敬愛する男性と申し上げた方がいいでしょうか。同じ男として、その生き方に惚れた方です。
 
初対面の折、矢兵衛さんの盛岡弁を耳にし、とっさにお尋ねしました。
 
「矢兵衛さん、もしかして仙北町のご出身ですか?」
 
同じ盛岡弁であっても、地域によって若干異なる印象があります。矢兵衛さんの盛岡弁は、私にとって最もしっくりする響きで、かつとても懐かしい響きでした。なるほど、私の祖父母が操っていた方言に似ているなと。祖父母も、かくいう私も仙北町出身なので、矢兵衛さんの盛岡弁がしっくりきたわけです。
 
私の突然の質問に、矢兵衛さんはにっこりと頷かれました。私も仙北町出身であることを告げ、すっかり意気投合しました。以来、祖父と孫ほどの年の差がありながらも、仙北町の矢兵衛、仙北町の松嶋、仙北町同士ともに歩みました。
晩年、すっかり認知症が進んだ矢兵衛さんは、私の顔を見てもなかなか思い出せないほどになりました。そのような中でも、「同じ仙北町の松嶋ですよ」と話しかけると、「おー、そうだった」と数秒で思い出されたのです。同郷のよしみとはまさにこのことだと思いました。
 
さて、矢兵衛さんとの会話の中で、心から感動したことが特に二つありますので紹介いたしましょう。
 
矢兵衛さんは簡単ではない病気をお持ちで、死は日常的に他人事ではなかったようです。だからか、矢兵衛さんとの会話では、「死」という言葉が多く出てきました。ある時、矢兵衛さんは病気で苦しい中、おっしゃいました。
 
「苦しくなってきた。本音は入院したいよ。ただ、カカアがくたばるまではダメだ。俺しか面倒見るやつはいねえからな」
 
「矢兵衛さん、女や子供、そして家族を守るのは私たち男の仕事ですよ。限界まで頑張ったらいいです。私がそばでいつも応援しますから。でも、万一、矢兵衛さんが先に亡くなるようなことがあったら、奥さんのことは大丈夫、私が責任もって最期までみますから」
 
私たちは固い握手をし、男と男の約束を交わしました。
自分の苦しい体調をおしてまで、妻のためにありたいと矢兵衛さん。男の中の男だと思いました。
 
また、こんな言葉もありました。普段の矢兵衛さんはご家族のことを多くは語りませんでしたが、あるとき、私が息子さんのことをお聞きした際のご返答です。
 
「息子たちは、俺と違ってとても立派だ。死んで、もし生まれ変われるとしたら、息子のような男になりたい」
 
感動しました。自分の子どものような男になりたいと言える父親。

私が死に、もし生まれ変わるとしたら、矢兵衛さんのような男になりたい。本当にそう思います。

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