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孫か、医者か@町医者エッセイ

ミキさんは特別な患者でした。

ミキさんは医者である私を頼ったのは生涯で一度のみでした。よっぽど追い込まれていたのだと思います。すぐにレントゲン検査をしました。結果をみた私は言葉を失いました。ガンが膀胱と肺に広がっていたのです。「命は数ヶ月以内…」と絶望の淵に落とされました。

私は幸いに医者でした。患者を前に絶望している暇がないのです。すぐに気を取り直し、膀胱がんを診てもらうべく同級生の医者に紹介しました。少しでも何とかならないものかと。同級生は期待に応えてくれました。数ヶ月以内という私の予想を葬り去ってくれたのです。

1年ほど経過した頃、同級生から一本の電話が入りました。
 
「松嶋君、ミキさんだけど、残念だが、これ以上の積極的な治療は難しいね」
「分かった。あとは私がやる。明日にでも転院させてくれ」
 
私はミキさんの最期は自分で看取ると決めていました。特別な存在だったからです。
電話の翌日、約束通りミキさんが転院してきました。目をつむり寝台に横たわるミキさんは、生きているかどうかも怪しいほどでした。あまりの変貌ぶりに、元気な頃のミキさんとの思い出が走馬灯のごとく私の脳裏を駆け巡りました。しかし感傷に浸っているわけにはいきません。私は医者だから前進しなければいけないのです。
 
「あとは大丈夫、心配ないよ」
 
大丈夫なわけがありませんでした。ガンが全身をめぐっていたのだから。でも私は医者だから、励ますため、とびきりの作り笑顔で語りかけました。
 
ある夜、ゆっくり語り合おうと、病室にミキさんを訪ねました。
 
「もう行きなさい」
 
一分も話さないうちに、ミキさんはそう言い放ちました。私はもっと語り合いたかったのに。

数日後、その時がやってきました。臨終の確認、医者である私の最後の大仕事です。息せぬミキさんを家族が囲み、私はミキさんの顔のそばという特等席に立ちました。「がんばったね、がんばったね…」とミキさんに数回語りかけた後、「1時…」と時間を告げようとした瞬間、限界でした。涙が溢れるのを堪えきれませんでした。
 
さようなら、ミキさん、いやばあちゃん。本当はもっとゆっくり話したかったよ。「もう行きなさい」ってなぜ言ったの?
 
あの晩、「もう行きなさい」の直後、ばあちゃんは「大事にね」と付け加えました。私が幼少の頃から、ばあちゃんとの別れ際に幾度となくかけられた言葉です。私は主治医を振る舞おうと思っていましたが、やはり最期まで孫だったのだろうと思います。
 
ばあちゃんの死後、周囲から多くの事実を伺いました。実習中の看護学生に私のことを随分と自慢していたこと。私とはほとんど話さなかった割に看護師とは私の話題で盛り上がっていたこと。多少は自慢の孫だったのかもしれません。
 
私は医者です。しかしばあちゃんにとっては孫だったのだろうと思います。
孫がばあちゃんを診て、孫がばあちゃんの臨終を確認したのです。いくらかは、ばあちゃん孝行ができたでしょうか。

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