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私のライフワークは10年経った今、万華鏡のようになった。

幼少期の記憶を辿ると、

小さな穴を覗いた先に無限に拡がる万華鏡の世界が好きだったことを思い出した。

そして、今、はたらくこと(はたを楽にすること)、こそだてること(個を育てること)、生きること(魂が生かされること)が全部相まった私のライフワークは、万華鏡みたいだ。

コミュニティ✖️マネジメントというコミュニティと経営を掛け合わすことでもたらされる、個と組織の豊かな関係性がきっとあると、時にワクワクし、時に打ち拉がれながら、私自身も実証実験のような働き方をこの10年してきたと思う。

【第1キャリア】22-30歳

夢はキャリアウーマンと書いた小学校時代から20代は新卒で化粧品メーカー総合職となり、年俸制・実力主義の世界は、今思うと幼少期夢で描いた通りだった。(見た目としてではあるけれど、美しくスーツを着飾って、担当先にコンサル営業をして、キャリア一直線と思い込んでいたことが、むしろ若さでエネルギー溢れていた)

【第2キャリア】30歳以降

30にして、家庭と息子たちという描いていなかった愛の世界に突入して、自分・仕事より大切な何かが出来た自分の生き方・働き方を全く考えていなかったことに気づいた。

そしてそんな人に対する社会は世知辛い。(かった。10年も前なので過去形か)

子育て専業なのか⇄子育てアウトソースして俗に言うバリキャリなのか、の二者択一になった時「それっておかしくない?」と私のアンテナは立ちまくり、やりきれない自分への苛立ちを全部“女性活躍”という社会課題に乗せて爆発させていた。この怒りのエネルギーは驚くほど力を持つ。

何をするにもエネルギーに溢れ、猪突猛進に前に進める。

この時期に出来た仲間(共感者)・一緒に過ごした子どもたちは、一生私にとってのかけがえのないファミリーになったし、今も愛しい存在であることは変わりない。

でも怒りエネルギーは持久力がないということ、求心力は逆に遠心力という相反するものから分断を生むということ、を学んだ。これはつまり、自分の中の分断。

【第3キャリア】

課題解決より未来志向。求心化するより、遠心力に目を向ける。

そんな視点でコークリエイション、ライフワークシームレスを掲げて、ビジョンを共にする仲間と価値共創が起こる場をつくる。

何かをゼロから創り出すことは、本当に大変。簡単な言葉で片付けられないほどいろんな事があり、だからこそ成長するとも言える。そして個人の幸せを追求することから拡がる世界があることも知った。

【第4キャリア】40歳にして

総合職出のゼネラリストで調和思考型の私が、独立してひとりで何もかもをやり切ることをやってみる。「私」という単体でどこまでやったら自分の核が見えてくるのか。「あなたって何者なの?」と言う問いに、同じくらいの文字数で答えらえるように。

そう思い1年動いた結果、結局私には「核」なんて無いということがわかった。同じ文字数で答えるとするならば「何者でもない」

常にあるのは鏡のような存在。正直に本音で「経営のこと」「家族のこと」「嬉しいこと」「悲しいこと」「辛いこと」「助けて欲しいこと」「助けたいこと」を話してくれる人たちがいる。むしろそういう人・法人からしか仕事がこない(選んでる訳でも無いのですが)

それが同様に、息子たちや家族にも言えることで、驚くほどありのままで私に向かってくる。

あー、私は核は無いけれど、ライフワークを通して色んなことが反響し合う世界を創れている。そして私から見える世界は万華鏡のように美しく、その先にワクワクするような世界。

なので、これにてReborn期は終了。成仏しました。

小学生の時に夢と書いた「キャリアウーマン」を、私なりに上書きできたと言える。ありがとう。

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