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#002 ポリコレとか、アレとか、アレ

[差別]と[区別]の違いを、まず整理。
『差』なので、上下うえしたに分けることが[差別]。
[区別]は、分類ぶんるい。つまり並列へいれつ(横並び)。平等の関係。
おおよそ、わたしは、そのようにとらえています。
てか、多くの方々も、同じような認識だと思います。

ですが、
最近は「区別も良くない!」という方々も
増えちゃっている気がしてなりません。
あくまで(マジであくまで)印象ですが、
わたしたちを「特別あつかいしてほしい!」という願望を、
ほんの~り感じてしまいます。
つまり「わたしたちを上にしろ!」という印象です。
あれれ? 差別の上位にのぼりたいってこと?

もやもや~、モヤモヤ~。

※差別についての言及げんきゅうは、もうこれ以上はしません。
 なぜなら、わたしはまだ考え中で、
 結論も、至るプロセスも、日々変化しているので。

最近、増えちゃっている系の
「区別も良くない! それも差別だ!」という方々をはじめ、
欧米で起こった運動を日本に持ち込んで、ブームが去ったら、
今度は別のイズムを主張し始める方々は、皆さん声が大きい。
駅前とかで拡声器かくせいき使って「主張」している昔ながらの方々なんて、
ことさら声が大きい。いつも怒鳴どなっておられます。
「ボリューム下げたら聞き取りやすいのに」って、いつも思います。
選挙期間中は仕方なくあきらめています(期間限定の我慢です)。

音声じゃなくても、活字になったビラ(文章)も、とても騒がしい。
ネットのあちこちに書き込まれている「主張」も、同様に騒がしい。

反対意見を持つことは大いに賛成なのですが、
反対意見を主張する際は、
せめてボリュームと言葉選びに注意してほしいと思う訳です。

しかし、そもそもどうして、
正義をかかげて主張する人って、うるさいんだろうか。
そもそもどうして、
正義のために喧嘩けんか相手を作って、けしかけるんだろうか。

「自分たちの主張も、正義の一つです」でいいのに、
「我らの主張こそが、正義だ!」の大声は、
マジで耳をふさぎたくなるし、恐怖すら覚えます。
(戦争を起こす理由も、コレに似ているのかもしれません)

マスコミ様とか、ジャーナリスト様とか、コメンテーター様とか、
国会議員様とか、選挙活動中の候補者こうほしゃ様も、
正義を理由に主張する人たちって、ときおりうるさくて、たまに恐い。
いかっているわたしが正義で、いからせたあなたたちが悪だ!
演出ですかね~。そうだといいんですけど。
じゃなかったら、ホントに恐い。
皆さん、それが求められているお仕事(役割)なのでしょう。
きっと「真面目まじめ」なんだと思います。

あっ! しまった! いまのわたしも、うるさいこと言ってる。
…… 反省します。ほんと、ごめんなさい。

さて、今回の結論は、コレ。
差別についての言及げんきゅうは、もちろん避けて。

わたしがいつも思っていること。
正義のために悪を作っちゃいけない。



~ この記事「もやもや整理のための こころみ」について ~
最近、もやもやすることが多くて、
書くことで、あたまなかこころなかを、
ちょっと整理してみようと思ったわけであります。
「こころみ = 試み & 心見」です。
てか、心見こころみって? さむっ! ダサっ!
(こんくらいダサいタイトルが、この記事にはちょうどいい 笑)



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