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世界で愛されるラム酒をMade in Okinawa で

株式会社グレイス・ラム代表取締役金城祐子さんインタビュー

原田マハさん作「風のマジム」。
主人公のモデルとなった金城祐子さんにインタビューする機会がありました。
南大東島産のラム酒が誕生するまでを語って下さいました。

誕生ストーリーはBarの酒飲み話から
「沖縄にサトウキビたくさんあるさー!」
ラム酒の原料がサトウキビだと初めて知った時、思わず口走った言葉です。
ラム酒の原料がこんな身近なものだったとは。

同席していたフランス人の友人が「沖縄はサトウキビの島なのにラム酒がないのはおかしいよ。祐子、沖縄のラム酒を造ってよ」と言います。

冗談ともつかない友人の無茶な提案に
「できちゃうかもな」と思いました。
これが始まりです。

当時、私は沖縄電力の社員でした。
ちょうど社内ベンチャーの募集期間中で、応募したら実現できるかもと思い企画書を書きました。

役員からも「おもしろいかもね」という反応をもらって第一次審査合格です。
応募から1年後、ラム酒を造る企画が承認されました。

南大東島でラム酒を造る

離島に小さな製造所を建ててラム酒を造りたい。
私が思い描いていたイメージです。
南大東島は候補のひとつでした。

実際に足を運び、見渡す限りサトウキビ畑の風景を目の前にした時、ここはラム酒造りにピッタリだと思いました。
南大東島でラム酒を造ろう。心を決めました。

苦難、苦難の2年間

沖縄のサトウキビでラム酒を造る。
情熱はあっても酒造りは未経験です。酒造りの技術者探しから始まりました。

泡盛酒造所をいくつか周って、ラム酒造りの技術者を紹介してくれないか打診したところ「酒造りのライバルに紹介なんてできない」と断られました。

では、大学や専門学校の卒業生はどうだろうと農業系の学校見学に行きましたが、未経験者が離島でラム酒造りをする、三重の難題だと断念しました。

糸満のアセロラワイン工場で出会った職人さんが適役だと思いましたが、声をかける前に体調を崩して退職されていました。

技術者は決まらず大難航でした。

さらなる難題は6億円?

技術者探しだけでなく、ラム酒製造所の設計も進めなくてはなりません。

ある泡盛メーカーの方が描いてくれた設計図は、近代的でオートメーション化された製造所でした。

もっと昔ながらで酒を手造りする感じがいいのにと思いながら、描かれている設備が本当に必要なのか判断がつきませんでした。
答えを出せずにいると業者まで連れてきて、製造所の見積書が差し出されました。

その金額、いち、じゅう、ひゃく……6億円!

ずらっと並ぶ数字の多さに金額がすぐわかりませんでした。
6億円、無理です。そんなお金ありません。

技術者決まらず、設備は高額。
壁にぶつかって、ぶつかって時が過ぎていきました。

できない。もう、やめよう。

「やめます」
とうとう弱気になって夫に言いました。
怒られると思ったのに、おまえよくがんばったよとやさしく受け入れられました。拍子抜けです。

上司にも「がんばっても問題だらけです。私は社長の器じゃない。やめさせて下さい。」と伝えました。

 

その時、いろいろな思いがこみ上げてきて初めて人前で泣きました。

 

「金城さん、やめるって言わないで。あなただからここまで頑張ってこられたのに。もう一息だよ。」
上司のひとことで肩の荷がおりました。


最後までやってダメならダメでいいか、と思えるようになったのです。

技術者現る

以前、糸満のワイン工場で出会った職人さんです。
体調を崩して退職したと聞いていましたが、私が四苦八苦しているうちに彼の体調は回復して仕事を探していました。

 ラム酒造りの話を聞いて「夢があっておもしろそうだからやります」と引き受けてくれました。

6億円かかると言われた工場の設備も、彼に図面を算定してもらうと手作業でできるものは手作業で、と単純化してくれて最終的にはローテク、手作業中心の工場設備を実現させてくれました。

 2004年、100%南大東島産のサトウキビで造られたラム酒が産声を上げました。

旧南大東空港の建物をそのまま使ったラム酒製造所


南大東島は農地の9割がサトウキビ畑
断崖絶壁の島




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